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Tuesday, 3 October 2017

Quantum space through Poisson manifold's deformation quantization by Kontsevich

Quantum space through Poisson manifold's deformation quantization by Kontsevich

From Print 2012, Chapter 18

対称性。それはかつてCと繰り返し話した内容だ。1920年代のプラハ。雑誌TCLPに載ったカルツェフスキイの論文、「言語記号の非対称的二重性」。言語が保持し続けるところの、それによって言語が言語であり続けるところの、絶対的に矛盾する柔構造と硬構造の共存。言語において二重に内在し続けるだろう永遠の矛盾。言語がかくも柔軟でかくも堅固でいられるのはなぜか、そのほとんど絶対的に矛盾するかともおもわれる二重性をカルツェフスキイは提示した。Cがその最後の本の中でただ一人天才と称した言語学者、セルゲイ・カルツェフスキイが残した白眉の論考。

なぜこの共存が可能なのか、この二重性に対する整合的な理解は今もなお、たぶん提出されていない。これに比して世界の量子化quantizationについては着実な進展があった。

深谷によれば、コンツェヴィッチは1997年の論文で形式性予想を提示し、2003年の論文に至って、みずからその予想を証明した。「ポアッソン多様体の変形量子化」。深谷は彼の本の中でその証明の概略をnRの場合に限って述べている。証明の全容は計り知れない。量子による空間、それももう夢ではないかもしれない。


Source: Tale / Print by LI Koh / 27 January 2012

Reference:
Quantization of Language / 24 June 2009
Komaba Park, Tokyo in midafternoon
3 July 2014

From Hodge diamond of mirror symmetry by KONCEVICH to mirror language

From Hodge diamond of mirror symmetry by KONCEVICH to mirror language

From Print 2012, Chapter 18

Aは祈りのモデルとして鏡の世界を想定していた。実際の手が鏡に映る。奥行きもある。動かせば一緒に動く。しかし実態はない。そして左右が反対になる。というより右手は右手なのだが、鏡の中では左手側として構造化される。上下関係はそのままだ。朝永振一郎が描いた鏡の中の世界だ。それはよく言われることだが、これだけではそれ以上には進まない。

鏡の手前に実在の幸福がある。鏡の中にその幸福が映る。それは実在しない。手前の実在の幸福を取り外せば、鏡の中の幸福も消える。今鏡の中に幸福があって、手前に実在の幸福がない状態を想定する。そういう状態をモデル化できないか。そんなことを彼はしばらく前から考えていた。

虚数を使えばどうだろう。リーマン球面の座標に時間座標を加えて、それに負の記号をつければ、ミンコフスキー空間になる。時間座標を空間座標と同じ正にとれば、次元に関してシンメトリカルな四次元球面ができる。これはホーキングが宇宙の生成に関して虚時間を導入した発想だ。ホーキングの宇宙の始まりは、だからその底面が球になっている。

言語に対称性は入れられないのか。そうすれば面対称で鏡の世界ができる。そして鏡の中だけに言語があるようにすれば、それを祈りのモデルとすることができる。そんな道筋を考えた。

実数に対して虚数があるように、実言語に対して虚言語がある。祈りは虚言語で書かれているとする。実言語の中に内在する時間を想定したように、虚言語にも内在する時間を想定する。天国に行くことは、虚言語の中で内在する時間を移動することになる。その言語をミラー言語mirror languageと呼ぶことにする。それならば、そのmirror はどこに置かれるのだろうか。

図書館でもっともよく読んだのは、深谷賢治だった。円はやはりx2 + y2 = 1で認識するより、丸い図形のイメージで認識するのが自然におもわれると書いてあった。幾何学の直感性はたしかにすばらしく普遍的だ。

深谷の本を読んでいくと、ミラー対称性mirror symmetryが出てくる。ホッジ・ダイアモンドと呼ぶものを或る値のところに設定し、そこで折り返すときれいなミラー対称性を得ると記されていた。Aが考えるmirror languageもそこで可能かもしれない。


Source: Tale / Print by LI Koh / 27 January 2012


Reference:
Mirror Language / 10 June 2004
Reversion Theory / 27 September 2004



References 2:

Non-symmetry, 1920s' Prague and Sergej Karcevskij's "Du dualisme asymetrique du signe linguistique"

Non-symmetry, 1920s' Prague and Sergej Karcevskij's "Du dualisme asymetrique du signe linguistique"

From Print 2012, Chapter 18

非対称性。Non-symmetry. それはかつてCと繰り返し話した内容だ。It was the very theme that I repeatedly talked on with C.1920年代のプラハ。Prague in 1920s. 雑誌TCLPに載ったカルツェフスキイの論文、「言語記号の非対称的二重性」。Karcevskij's paper "Du dualisme asymetrique du signe linguistique" that appeared in the magazine TCLP. 言語が保持し続けるところの、それによって言語が言語であり続けるところの、絶対的に矛盾する柔構造と硬構造の共存。Absolutely contradicted coexistence between flexibility and solidity, which language keeps on maintaining, by which language continues existing as language.  言語において二重に内在し続けるだろう永遠の矛盾。Still now there will exist the everlasting dual contradiction in language.言語がかくも柔軟でかくも堅固でいられるのはなぜか。Why can language stay in such solid and such flexible condition like that. そのほとんど絶対的に矛盾するかともおもわれる二重性をカルツェフスキイは提示した。Karcevskij proposed the duality that is seemed to be almost absolute contradiction. Cがその最後の本の中でただ一人天才と称した言語学者、セルゲイ・カルツェフスキイが残した白眉の論考。Sergej Karcevskij's best of papers, for whom C called as the only genius in his last book. 

Source: Tale / Print by LI Koh / 27 January 2012
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English translation:  Prague in 1920s, The Linguistic Circle of Prague and Sergej Karcevskij's paper "Du dualisme asymetrique du signe linguistique"
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Former Maeda marquis residence
Komaba Park, Tokyo


Finiteness of 3 dimensional standard flop and shutting up to finite 3 dimensional world of language from infinite 4 dimensional world

Finiteness of 3 dimensional standard flop and shutting up to finite 3 dimensional world of language from infinite 4 dimensional world

From Print 2012, Chapter 18

ヤーノシュ・コラールと森重文が書いた本は伝える。三次元標準フロップの任意の列は有限である、と。今フロップを一種の写像と考え、意味を有限の列と仮定し、立体と時間で作られたこの四次元世界を平面と時間で作られた三次元世界に射影すれば、無限に生起するとおもわれた四次元世界の出来事のすべてが、三次元の有限の世界に閉じこめられることになる。時間を含む意味を体現した文字は、まさしくこの私たちの現実の世界を射影し閉じ込めたものとなる。幾何で表記された図形が言語のモデルとなることが可能になるかもしれない。

Source: Tale / Print by LI Koh / 27 January 2012  


Metropolitan Nogawa Park, Tokyo

CHINO Eiichi and Prague

CHINO Eiichi and Prague

ロシア語と言語学を教えてくれたCもはやく逝った。塔と橋のある古い都市をこよなく愛したC。彼が書き残したものの中に「カルパチアの月」というのがあった。

彼は記す、会議を終えてキエフを発し、カルパチアの山に月と教会を見て、ひたすら西へ向かい、スロバキア、モラビア、ボヘミアを過ぎ、ついに「黄金のプラハへと着いた」と。彼の青春であったプラハ。

あれほどの言語を自在に駆使しながら、彼からもうその逸話を聞くこともできない。新聞はその死を、小さな見出しで言語学の天才と報じた。

夕ぐれにはまだ時間があるのに、イルミネーションが灯り始めた。雨がこまかく降っている。M百貨店も右手前方にあかるく光っている。

―帰りにコーヒーを飲んでいかない?

手前の新しいそうな店を見ながら、Iが言った。


Source: http://srfltheory.weebly.com/tale.html 

Reference:
CHINO Eiichi and Golden Prague / 28 June 2014



Mitsukoshi Department Store, Nihonbashi, Tokyo


Canal, saint and wandering is over now

Canal, saint and wandering is over now

From Print 2012, Chapter 10

改札を出ると夕ぐれの町が若者たちの姿をなかばシルエットにして、行き来させる。左側に売店がある。その前方のガード下に幹線道路が走り、道路を路面電車がきしみながら過ぎて行く。右へ行けば古本屋街。中央のガードの下に、つまり都市線の下に、運河がながれている。駅名と同じ古ぼけたD橋が架かり、よどんだ水面をときおり平たい荷舟が通って行く。むかしとなにも変わらない。橋の向こうは大きな交差点で、その向こうに灰色の高い学校がある。夕ぐれの中に点々と、まだ学んでいるのか灯りがともっている。これもむかしのままだ。橋に立って川面をながめていると、人々が絶え間なくながれて行く。橋はそういうところだ。とどまるところではない。Aはそこから運河をながめているのが好きだった。荷舟はどこまで行くのだろう。いずれ海辺近い港か集積場で荷を降ろすのだろうか。荷舟は時のながれを二重にするかのように、よどんだ運河の上をゆっくりと下方へと移動して行く。

運河の左手は駅舎で、右手は建物群の裏側になる。いくつもの看板が駅の方に向いている。東洋王者が構える姿を描いたボクシング・ジムのややゆがんだゴシックの看板はまだ健在だ。ほかの看板は記憶に残っていない。

橋はもうところどころコンクリートが剥げ落ちている。古ぼけた町にふさわしい。錆びた鉄の欄干にもたれていると、今日は多いのかもしれない荷舟がまた橋をくぐって行く。

もはや本屋街をさまようことはない。I need not more wander the book shop streets. 対象は私のうちにある。The object exists in my mind. 私はただこの運河をながめていればいい。I would better watch the canal. 遍歴は終わった。
Wandering is over now.  たぶん永遠にマイスターにはなれないだろうが、みずからの小さな仕事場で、日が落ちるまで作業をすればいい。Perhaps I would not become meister  forever. In my narrow working place, I 'd better do my work till sunset. すると仕事場の窓辺を聖者が通って行く。 So out of the window by the working place,  saint passes by. かつてそんなロシアの民話を読んだ。I ever read the Russian folk tale like that. 

秋の日ぐれは早い。路面電車のヘッドランプがまぶしいくらいだ。黄褐色の窓に少ない乗客が照らし出され、古本屋街の方へ消えて行った。駅の売店がにぎやかな橙の光に包まれている。


Source: Tale / Print by LI Koh / 27 January 2012 

Reference: MURAVIJOVA Natary  Russian Language Class/ 17 July 2010
                KAJIMURA Hideki His Korean Classroom /13 April 2013




Generation and extinction of quantum in the field space

Generation and extinction of quantum in the field space

From Print 2012, Chapter 17

―ガウス平面からリーマン球面に射影するだろう、そこにオーロラのように言語が生まれる。球の中心すなわち座標の原点から光のような素子が飛び立つ。なんて言ったっけ?

―dictoron。

―あれはなに?

―かってに名まえをつけて、定義がすこし甘いんですが、言語認識素子。

―そう、それがリーマン球面まで到達する。速度は一応光のフォトンと同じだったね、すべての認識素子は同一時間で球面に達する。そして球面を人間の認識領域だとすると、その領域上の言語をすべて同一の時間で言語認識素子は認識する。物理的な時間は同じだ。ところが球面上の言語間の距離をその弧として捉えると、そこには当然さまざまな距離が生じている。その距離を言語認識素子の速度で割ると、弧の長さに応じて、時間に長短が生じる。物理的な認識時間は同一でも言語領域上の弧の認識時間に長短が生じるというわけだったね。

―そのとおりです。

―表題のところにあの文書だけInterludeってついてたけど、あれはなに?

―間奏曲という意味で、すこし遊んでもいいかなっておもって。モデルだから、作ろうとおもえばどんなふうにも作れるんです。

―でも多少はヒントがあったんだろ?

―認識素子の想定は物理のダヴィッド・フィンケルシュタインを真似てみました。フォトンと同一速度なんていうのもそのためです。リーマン球面を人間の認識領域に設定して、そこに距離の概念を介在させると、時間の絶対認識と相対認識がきれいに相違するということは自分で思いつきました。そのころ意味における距離の関与について考えていましたから。

―簡潔でいいモデルだけど、しかしあの射影をそのままでさらに発展させることはむずかしいんじゃない?

―そうなんです、今は関数全体の集合から空間を定義するという最近の考え方が自然におもわれます。中島啓が提出した、母関数の類似を幾何学的に考える母空間なんてなんとも魅力的です。それをフォローした牛腸徹が、非線形偏微分方程式の解全体として理解されるモジュライ空間の解の個数で作られる母関数が密接に関係し合っている状態は、限りなく量子論的だと言っています。またその前提として牛腸は、母空間上の関数空間を考えてそこからベクトル空間上の対称テンソル空間を定義し、元のベクトル空間をその双対空間上の対称テンソル空間と同一視すると、母空間上の関数空間がその対称テンソル空間とまた同一視でき、結局、場の空間における粒子の生成と消滅が記述できるというのです。

―つまり粒子の生成と消滅が数学的な根拠を持つ Generation and extinction  of quantum has mathematical foundation というのだね。

―そうです。

Source: Tale / Print by LI Koh / 27 January 2012 

References: Quantization of Language / 24 June 2009 
                  Discreteness of Language / 19 July 2009


Summer woods of Itsukaichi, Tokyo
8 July 2014