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Wednesday, 1 November 2017

CHINO Eiichi and Prague / Tale, Print, 2012

CHINO Eiichi and Prague / Tale, Print, 2012


ロシア語と言語学を教えてくれたCもはやく逝った。塔と橋のある古い都市をこよなく愛したC。彼が書き残したものの中に「カルパチアの月」というのがあった。

彼は記す、会議を終えてキエフを発し、カルパチアの山に月と教会を見て、ひたすら西へ向かい、スロバキア、モラビア、ボヘミアを過ぎ、ついに「黄金のプラハへと着いた」と。彼の青春であったプラハ。

あれほどの言語を自在に駆使しながら、彼からもうその逸話を聞くこともできない。新聞はその死を、小さな見出しで言語学の天才と報じた。

夕ぐれにはまだ時間があるのに、イルミネーションが灯り始めた。雨がこまかく降っている。M百貨店も右手前方にあかるく光っている。

―帰りにコーヒーを飲んでいかない?

手前の新しいそうな店を見ながら、Iが言った。


Source: http://srfltheory.weebly.com/tale.html 

Reference:
CHINO Eiichi and Golden Prague / 28 June 2014



Mitsukoshi Department Store, Nihonbashi, Tokyo

Canal, saint and wandering is over now

Canal, saint and wandering is over now

From Print 2012, Chapter 10

改札を出ると夕ぐれの町が若者たちの姿をなかばシルエットにして、行き来させる。左側に売店がある。その前方のガード下に幹線道路が走り、道路を路面電車がきしみながら過ぎて行く。右へ行けば古本屋街。中央のガードの下に、つまり都市線の下に、運河がながれている。駅名と同じ古ぼけたD橋が架かり、よどんだ水面をときおり平たい荷舟が通って行く。むかしとなにも変わらない。橋の向こうは大きな交差点で、その向こうに灰色の高い学校がある。夕ぐれの中に点々と、まだ学んでいるのか灯りがともっている。これもむかしのままだ。橋に立って川面をながめていると、人々が絶え間なくながれて行く。橋はそういうところだ。とどまるところではない。Aはそこから運河をながめているのが好きだった。荷舟はどこまで行くのだろう。いずれ海辺近い港か集積場で荷を降ろすのだろうか。荷舟は時のながれを二重にするかのように、よどんだ運河の上をゆっくりと下方へと移動して行く。

運河の左手は駅舎で、右手は建物群の裏側になる。いくつもの看板が駅の方に向いている。東洋王者が構える姿を描いたボクシング・ジムのややゆがんだゴシックの看板はまだ健在だ。ほかの看板は記憶に残っていない。

橋はもうところどころコンクリートが剥げ落ちている。古ぼけた町にふさわしい。錆びた鉄の欄干にもたれていると、今日は多いのかもしれない荷舟がまた橋をくぐって行く。

もはや本屋街をさまようことはない。I need not more wander the book shop streets. 対象は私のうちにある。The object exists in my mind. 私はただこの運河をながめていればいい。I would better watch the canal. 遍歴は終わった。
Wandering is over now.  たぶん永遠にマイスターにはなれないだろうが、みずからの小さな仕事場で、日が落ちるまで作業をすればいい。Perhaps I would not become meister  forever. In my narrow working place, I 'd better do my work till sunset. すると仕事場の窓辺を聖者が通って行く。 So out of the window by the working place,  saint passes by. かつてそんなロシアの民話を読んだ。I ever read the Russian folk tale like that. 

秋の日ぐれは早い。路面電車のヘッドランプがまぶしいくらいだ。黄褐色の窓に少ない乗客が照らし出され、古本屋街の方へ消えて行った。駅の売店がにぎやかな橙の光に包まれている。


Source: Tale / Print by LI Koh / 27 January 2012 

Reference: MURAVIJOVA Natary  Russian Language Class/ 17 July 2010
                KAJIMURA Hideki His Korean Classroom /13 April 2013




Generation and extinction of quantum in the field space

Generation and extinction of quantum in the field space

From Print 2012, Chapter 17

―ガウス平面からリーマン球面に射影するだろう、そこにオーロラのように言語が生まれる。球の中心すなわち座標の原点から光のような素子が飛び立つ。なんて言ったっけ?

―dictoron。

―あれはなに?

―かってに名まえをつけて、定義がすこし甘いんですが、言語認識素子。

―そう、それがリーマン球面まで到達する。速度は一応光のフォトンと同じだったね、すべての認識素子は同一時間で球面に達する。そして球面を人間の認識領域だとすると、その領域上の言語をすべて同一の時間で言語認識素子は認識する。物理的な時間は同じだ。ところが球面上の言語間の距離をその弧として捉えると、そこには当然さまざまな距離が生じている。その距離を言語認識素子の速度で割ると、弧の長さに応じて、時間に長短が生じる。物理的な認識時間は同一でも言語領域上の弧の認識時間に長短が生じるというわけだったね。

―そのとおりです。

―表題のところにあの文書だけInterludeってついてたけど、あれはなに?

―間奏曲という意味で、すこし遊んでもいいかなっておもって。モデルだから、作ろうとおもえばどんなふうにも作れるんです。

―でも多少はヒントがあったんだろ?

―認識素子の想定は物理のダヴィッド・フィンケルシュタインを真似てみました。フォトンと同一速度なんていうのもそのためです。リーマン球面を人間の認識領域に設定して、そこに距離の概念を介在させると、時間の絶対認識と相対認識がきれいに相違するということは自分で思いつきました。そのころ意味における距離の関与について考えていましたから。

―簡潔でいいモデルだけど、しかしあの射影をそのままでさらに発展させることはむずかしいんじゃない?

―そうなんです、今は関数全体の集合から空間を定義するという最近の考え方が自然におもわれます。中島啓が提出した、母関数の類似を幾何学的に考える母空間なんてなんとも魅力的です。それをフォローした牛腸徹が、非線形偏微分方程式の解全体として理解されるモジュライ空間の解の個数で作られる母関数が密接に関係し合っている状態は、限りなく量子論的だと言っています。またその前提として牛腸は、母空間上の関数空間を考えてそこからベクトル空間上の対称テンソル空間を定義し、元のベクトル空間をその双対空間上の対称テンソル空間と同一視すると、母空間上の関数空間がその対称テンソル空間とまた同一視でき、結局、場の空間における粒子の生成と消滅が記述できるというのです。

―つまり粒子の生成と消滅が数学的な根拠を持つ Generation and extinction  of quantum has mathematical foundation というのだね。

―そうです。

Source: Tale / Print by LI Koh / 27 January 2012 

References: Quantization of Language / 24 June 2009 
                  Discreteness of Language / 19 July 2009


Summer wood of Itsukaichi, Tokyo
8 July 2014

恩寵のように冬が来る Winter comes as if grace arrives

恩寵のように冬が来る Winter comes as if grace arrives

From Print 2012, Chapter 19

信号が変わる。

―むかしね。谷山豊TANIYAMA Yutakaって人がいたんだ。

Aは声をすこし大きくして言った。

―若くして亡くなった。婚約者もたしかまもなく亡くなった。彼とその友人が作った予想が、フェルマー予想Fermat Theoremを解くかぎになった。ワイルズWilesという人が解いてもう十年以上になる。それで谷山TANIYAMAの特集が雑誌に載ったことがあった。

Iはただ彼を見ている。

―そのときね、本屋で読みながら、すごくうらやましいとおもった。雑誌は買わなかったけど、買ってもしかたがないような気がしたから。自分にはそのときなにもなかったから。ただ、そんなふうに生きてみたい、死ぬことじゃないよ、一度生きるならそんなふうに生きたいとほんとうにおもった。それがたぶん自分には生涯できないとわかっていたから、よけいうらやましかったんだ。それがね、いまは谷山TANIYAMAのように生きている。彼のようにすごくもなんともないけど。おもいはまったく同じなんだ。

―すごいわね、ほんとうに。そんなにおもえるなんて。

書店が見えてきた。

ふたりに今、恩寵のように冬が来る。For the two, winter comes as if grace arrives.



Source: http://srfltheory.weebly.com/tale.html 

Reference: The Complete Works of TANIYAMA Yutaka / 11 November 2012


                                         Holiday in autumn, Tokyo

Coffee shop named California

Coffee shop named California

From Print 2012, Chapter 10

Cは事実と法則を追って、それを見出さなかった。そして或るとき突然の病いで逝った。言語学を愛した幾冊かの本を残して。最後の本の名は、言語学への開かれた扉、Janua Linguisticae Reserata。彼が言うように、扉は万人に開かれていた。ひたすら追うのであれば。

Cが生きていれば、今またAに問うかもしれない。おまえは今何をしているかと。If C live, he also may ask me, "What  are you researching now?" そしてAもまた同じように答えるだろう。And A also will answer him as same as ever.事実ではなく普遍を追っています、こりることなくと。I have pursued universals, never done facts, without repenting.  
生きていれば、あの急な階段をのぼって、天井の低いテーブルでまた話していただろうか、Cよ。Oh C, if you live, will we also talk on language at the table facing each other under the low ceiling of the shop, going up the steep stairs. 
 転注をめぐる研究の国境を超えたつながりの中で、再発見された転注論の貴重な原稿を損傷させないために、発見者みずからが飛行機に乗って届けてくれたことなどを。だから途方にくれるようにまずしかった私はどれほど勇気づけられたか、Cよ。駅前の路地を入ってすぐ左の、掘っ立て小屋のようだったあの店の名まえはカリフォルニア。The name of the shop is California. ぼくらの決して悲惨ではなかった忘却の紀念に、今はそれを書き記そう。For the memory of our daily forgetful life, its never miserable though poor all over, I will write down our delight.

しかしAは、Cの怒るような忠告を心から謝して受け止めても、違った方向をとり続けた。事実は彼の対象ではなかった。人間の事象である以上、すべては一度事実として顕現する。そこになんらかの法則が現われるかもしれない。しかしAはその方向を望まなかった。彼が求めていたのは、そうした事実の世界ではなく、架空の世界だった。それはたぶんこの世界をほとんどなにも説明しない。役にも立たない。それが冒瀆でないなら芸術に近かった。

言語における内的構造は、Aの場合、集合論から図形を経て、幾何へと行き着いた。すなわち時間もまたひとつの意味である普遍的な言語を表現したものとしての図形を、明確に表記するただひとつの方法として、彼は今幾何を選び、そこにもう迷いはなかった。


Source: Tale / Print by LI Koh / 27 January 2012  

Reference: 
Under the Dim Light / 1 August 2012

Tokyo in wintry evening

10 Extracts from Tale, Print, 2012



10 Extracts from Tale, Print, 2012


10 Extracts from Tale, Print, 2012
17/07/2014 12:03
12 November 2015

Publishing Revolution

Publishing Revolution

TANAKA Akio
             
                         
I read Pamela Pfiffner's INSIDE THE PUBLISHING REVOLUTION : THE ADOBE STORY, 2003.

"From 1982 - 1984: Laying the Foundation / The Early Years
When Geschke met Warnock in 1978, the two felt an instant rapport. But over lunch they also discovered they had similar experiences and shared values.
From BizStats: 1982
John Warnock and Chuck Geschke found Abobe Systems with $2.5 million in seed money from Hambrecht & Quist."

Thus publishing revolution has started by the two. If there be not this revolution, probably my representation to the public will not be done as smooth as now. Because my concepts on language are rather strange and the road to cultivate is so hard to open to the wider world.

I first had my personal computer in 1987. The computer was Sharp's X1 which used 8-bit microprocessor Zilog Z80 which was sold from 1976. The operating system was CP/M and storage media was 8-inch floppy disc that capacity was 175 kB (at 1972)- 500 kB (at 1976).

At that time printer was dot-printer and only can be printed out alphabet, figures and Japanese Katakana (the square form of Japanese syllabary). In those days I read a book on the printing-out from computers published by a authority of Japanese technology.


I clearly remembered the impression on the book in which the author asserted that printing out the Chinese characters were impossible for the figural complexity of the letters. Oh how fast the impossibility has been reversed. Warnock and Gaschke has accomplished the revolution on publication or more wider on human's representation to the world. Really fantastic and infinite thanks for the two respectable persons and the successors after the two.



Read more: http://geometrization-language.webnode.com/products/publishing-revolution/