19 雪のホーム
最終試験が終わったあと、学校は自由登校になった。みな家にこもり、最後の集中となった。田所はやや手薄であった化学と日本史に全力をあげた。数Ⅲの統計も念のため調べた。化学は複雑な有機を、日本史は近代以降をした。英語で哲学者のラッセルのエッセイを読んだ。夕方になるとみんな家路に急ぐ。自宅の居間でラジオを聴くためだ。ロンドンの冬、イギリスの冬をなんとなく連想した。ラジオによって時代が変わった。そんな時代があったのか。
学校の事務室に、頼んでおいた最後の書類をもらいにいこうとした朝、起きたら外は一面の雪だった。雪はしかし小降りになっていた。長靴をはいていこう、まさか金井に会わないだろう。長靴の中のフェルトのあたたかさがいい。オレの生き方に似ている。緑陰線から、さらに七高線のいなかだ。今日は自転車はきつい。駅まで歩いていこう。
二年の冬に濃紺のトレンチコートを立山市内で買った。長靴にこれじゃ金井でなくても笑うわけだ。どてどてしている。林を抜けるとき、雪がサーッと枝から落ちる。やっぱり長靴じゃなきゃ無理だ。晩春の林の美しさを金井にみせたいな。エゴの木に白い花が、林の中で音もなく散っている、息をのむくらい幻想的だ。そんな風景をあいつに見せたいな。オレがどんなところで育ったか、どうして長靴をはいてたか。
学校はしんとしていた。事務室はやっている。一二年生は授業中だ。書類を確認して校門を出ようとした。そこで村木にあった。村木も用事があったのだ。
「田所君も書類?」
「うん、これから?」
「そう」
「じゃ待ってるよ」
これがいくどめの出会いなのだろ、もう会わないかもしれない。初めて見た日のこと、言わなかった。
雪はもうほとんどやんでいる。見上げるとちらほらと舞って下りてくる。やっぱり雪は多いな、そうおもう。校門のあたりは雪かきがしてある。門衛所の丸い屋根に雪が積もっている。クラブでおそくなった日は、門衛所に近い通路から校門に出た。そんなことを思い出した。
「ごめん、おそくなった」
「いいよ、雪見てたから」
「こっちからよく帰ったな」
門衛所の方を指差した。
「クラブのときでしょ、私たちもあったわ」
通学路を駅に戻る。いつも歩いたところが雪でまったく新しく見える。
「去年雪降ったろ、オレたち階段教室の物理だった。そしたら休講にしてくれた」
村木はなにも言わない。
「それでみんなで雪合戦をした、売店の前のところで。ほかのクラスもやってたよ」
「クラス一緒にならなかったわね」
いつもの農協会館。曲がれば駅だ。
「オレね、村木さんが諏訪さんと南都線から地下道に降りて来たとき見たことがあるよ、なんか話してた」
「諏訪さんはいつもそうなの」
「村木さんも話してたよ」
改札を抜けて地下道に下りると、すぐ南都線になる。
「南都線のホームに行くよ、オレまだ来ないから」
こんなことはじめてなのに。
ホームに出ると空があかるい。雪がやんだ。電車がもう来てる、ここが始発だから。
「私今リパティというピアニストを聴いてるの、素朴なのにだれにもひけない、そんなふうにひくの」
知らない名まえだ。なにもいえない。
電車に乗るときこっちをみた。窓ガラスがくもってる。
電車はゆるく右へカーブしていく。田所は手をふった。もう会わないかもしれない。田所はおもいきり手をのばしてふった。みえない村木に。
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