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Friday, 8 August 2025

Paper, essay and two books of Hananoi Kazumi 1966-1977


1966年ー1977年
華埜井香澄先生の論文、随想そして二冊の本


華埜井先生の著述で私が現在確認しているのは、以下のものである。年代順に列挙する。「スタンダールと宗教」『人文学部紀要 1 1966 和光大学』 35頁-50頁 1966年『悪魔のしっぽ―フランスの昔話ー』編者 華埜井香澄・牧野文子 三修社 1972年3月1日 第1版「仏語入門三つのタイプ」『和光大学通信 第18号』6頁 18975年4月20日発行『新フランス語文法』著者 華埜井香澄・作田清・井上範夫・住谷在昶 駿河台出版社 1977年4月1日 初版華埜井先生の和光大学への着任は1967年4月であり、本来ならば、論文「スタンダールと宗教」の『人文学部紀要 1 1966 和光大学』への掲載はあり得ないこととなるが、何らかの事情で、『人文学部紀要 1 1966 和光大学』の発行が1967年度以降になったため、掲載が可能となったとおもわれる。

はじめに、華埜井先生が和光大学でのフランス語教授において、どのようなおもいを抱いて臨まれていたかを示す「仏語入門三つのタイプ」についてみることとする。先生は、必修となっている外国語学習の位置について以下のように述べておられる。「私たちは、外国語を勉強することによって、日頃無意識に浸り切って生活している日本語というものをはっきりと自覚できるようになるのだと思います。」と簡潔にまとめておられるが、その学習に臨む学生を大きく三つのタイプに分類しておられる。

「意欲的である」第一のタイプ「歩いたり走ったりするには、目的に向って足を交互に前に出さなければならないという基本をすっとばしてしまう」「意欲的である」第二のタイプ「足もとばかり気にして、自分が今どこを歩いているのか、どこに向っているのか一向に定かでない人」この二つのタイプに対して先生は「一緒に勉強する私の方もいきおい力が入ります。」と述べられているが、この二つの評言からは、一歩一歩着実に進むほかに王道はないとする外国語学習の基本の徹底を学生に求めていることが感じられる。私自身は多分第一のタイプに属するとおもう。後述したいとおもうが、1977年に刊行された『新フランス語文法』は共著であるが、まさしくフランス語の基本である、動詞の語形変化に多くの課を割いている。

先生が述べられる第二のタイプは、私からはやや遠いもので推測となるが、語学の基盤となる文法に即して考えるとき、現在学習している文法が、フランス語文法全体の中で、どの位置を占めるかが不分明な学習者等を指すのではないかと推測する。英語学習に例を取ろう。「現在完了」The present perfect という文法概念がある。直訳すれば「現在において完了している」という概念であるが、特にこの中の「完了」 perfect という概念を理解することは「意欲的である」学習者にとっても、かなり難しいのではないかとおもわれる。非理解のままであるとすれば、「自分が今どこを歩いているのか、どこに向っているのか一向に定かでない」状況におちいるであろう。

基本的には、学習者自身がみずから調べ、不分明な点については、教授者に質問するということとなるとおもうが、問題となるのは、どこが不分明であるのかもわからない場合である。私が数学においていつも痛切に感じているところだが、教室においては、教授者である先生がおられるので、率直に自分の理解度を伝えて説明していただくことがよいとおもうが、それ以下の場合はどうなるのであろうか。後述する華埜井先生が分類された「第三のタイプ」となるのであろうか。ちなみに、私がときどき参照するEnglish Grammar in Use THIRD EDITION, CAMBRIDGE UNIVERSITY PRESS, 2004 には別刷りの冊子が挿入されており、その冒頭の項目が Present perfect (I have done)であり、次の項目が Present perfect( I have done )and past simple ( I did ) となっている。この二つの概念の違いが多くの初学者にとって理解困難なことを示す一証左となるであろう。説明は以下のようになっている。

The present perfect is a present tense. It always tells us about the situation now. ' Tom has lost his key.' =he doesn't have his key now. The past simple tells us only about the past. If somebody says 'Tome lost his key' , this doesn't tell us whether he has the key now or not. It tells us only that he lost his key at some time in the past.

すなわち、現在完了という概念は、Present tense 現在時制であり、決してPast tense 過去時制ではないと明言する。この説明は簡潔であるが、非ヨーロッパ系の初学者には、tense 時制という概念がまたひとつ障害となるであろう。時制という概念はヨーロッパの言語においては、動詞の活用と密接に関係して必須の概念であるが、少なくともアジアの諸語使用者にとっては、必ずしも通用の概念ではない。上記の説明では、now と past とを斜字体にして強調している。私がテレビでたまたま、イタリアの小さな村の小学校の国語の時間を見たとき、小学校二、三年生が、イタリア語の動詞活用を、一人一人が先生に向って朗誦している場面があった。しかも複雑な過去時制までの活用を続けて朗誦するのである。母語としても、そのように多くの努力を小学生低学年から行っているのである。

外国語として学ぶ以上、さらなる困難が生じるのは避けられないであろう。 しかし先生はこの「意欲的である」二つのタイプに対しては、「一緒に勉強する私の方もいきおい力が入ります。」と結ぶ。問題点が先生から見て、はっきりと確認できるからであるとおもわれる。先生が憂慮されるのは、「無目的、無感動という」「第三のタイプ」である。「外国語が必修だから止むを得ないという、無感動な殆んど諦めに近い気持が選択の前に横たわっている」私もほんの少しではあるが、中国語と朝鮮語の初歩をかつて一般の社会人に教えたことがあるが、華埜井先生の感懐と似た経験をしたことがあった。中国語と朝鮮語とを比較したとき、先生が指摘された第三のタイプは、中国語の方により多くみらみられたようにおもわれた。

現在は状況が異なってきているとおもうが、韓国でのオリンピックが開催される以前の、朝鮮語・韓国語の学習者は学習する言語そのものに対する、いわば熱いおもいが存在したようであった。これに対して中国語の学習者はその目的が多様に広がっていて、ただ漠然と申し込んだ方もおられた。華埜井先生が教授されたフランス語は、中国語よりさらに漠然と選択する学習者が存在したのではなかったとおもわれる。従って先生は、「今日のような恵まれた時代になっても、独学というのは少数の例外的な人を除けば仲々困難なことであることには変りありません」として、「毎週決った時間に決った場所に同学の仲間たちが集って勉強するという制度は、実にまことに得難いチャンスなのだと知るべきではないでしょうか」と結んでおられる。私はこの文中の「毎週決った時間に決った場所に同学の仲間たちが集って」の部分こそ、広く大学そのものの本質を述べたものであると実感している。華埜井先生が本質と現実のはざまで苦慮なさっておられたことを、今は痛切におもわずにはおれない。

「スタンダールと宗教」は私が読んだ先生の唯一の論文である。論文は四章からなり、以下のようになっている。1.はじめに2.憎しみ3.愛むすび「むすび」のあとに、各章ごとのReference が記載されている。 「1.はじめに」に対して3か所「2.憎しみ」に対して25か所「3.愛」に対して29か所「むすび」に対して4か所。

以下において、本文の引用を「」で示しながら、各章を概観したいとおもう。私の浅い理解については寛恕を乞う。
1.はじめに「スタンダールは、宗教の何たるかを考えることができる年令に達するはるか以前から、聖職者に対する深い嫌悪と憎悪の気持を植えつけられていた。」

「聖職者階級、特に当時その俗権をほしいままにしていたジェスイットに対する生涯に亙る反抗となった。」
「しかしながら、このことによってのみスタンダールの宗教観を断定して反宗教的とするのは早計である。」
「心情として捉えられた宗教感情に対しては、無感覚であるどころか、それに感動せざるを得ない極度に感じやすい魂を彼はもっていたのである。」
「スタンダールが、不合理なもの、超自然的なものへの止み難い嗜好を持っていたということも否定できない」
2.憎しみ「スタンダールは、理神論者やヴォルテールのように、神が人間及び人間以外の一切のものの第一原理であるとは信じていない」
「神が存在するかどうかという問題は、スタンダールの如何なる作品にも提示されていない。同時代の作家たちの間で、形而上学的不安から完全に免れていたのは彼一人であったかもしれない。」
「彼の明晰さは彼の自我を彼自身の外部にある一切のものと混同しようという誘惑に対して決して身を委せはしない。」
「スタンダールの反強権思想は、宗教の領域における形式主義と狭量とによってしばしば呼び覚まされるのである」
「スタンダールの反強権思想の決定的で最も明瞭な現われは、世俗的なものの利益のために、精神的なものと世俗的なものとを結びつけることに対する断固たる拒否である。」
「スタンダールがジェスイットに対して最も強く非難したもの、それはジェスイットが王政復古下におけるフランスの支配者であり、軍隊をもち、帝国を形づくっていたという点であった。」
「感動的な力、誠実さ、無償の自己拘束に身を委せない一切のものを彼は唾棄する。逆に、感動的なものに全身を没入させる自然味を何よりも礼讃するのである。」
「彼が自分の行動の誠実さと自分の自然味の限界とを吟味しようとして自分自身の上に批評の目を向けるのは、彼の自然さという倫理がまさに開花しつつあるときである。」
3.愛「「今日、サンタンドレ寺院に逃れてきたドミニカンの壁画と向い合っていた。昨日は、サント・パラクセードであった。」宗教的芸術あるいはイタリアの宗教のこうした絵画的な側面に対してスタンダールが示した愛の中には、確かにディレタンティスムがあったかもしれない。しかし、ローマ散策中に突然イタリアの宗教におけるキリスト教の精髄に心を打たれたスタンダールは、決して彼の先入観をここに持ちだしてきてはいない。」
「旅行者スタンダールは、たまたまゴチック建築の下を散歩していて、突然の衝動を実感し、新しい世界に自分が移行しつつあるのを感じるのである。」

以上のローマ散策を受けて、華埜井先生はスタンダールの『イタリア絵画史』から以下の部分を引用する。私、田中にはこの論文中で最も重要な引用の一つではないかと思う部分である。「魂の偉大なる運動、および人間が事故を超越する幸福な瞬間を説明する機会を、殆ど常にキリスト教の主題が提供している。」
「キリスト教は常に人間を、即ち何らかの感動的な状況においてあなた方が興味をもつ存在を、あなた方に示している。」華埜井先生はこの部分を受けて、フランス語の語彙に対する重要な指摘を行なっている。「このキリスト教礼讃は、スタンダールがしばしば用いる崇高なという形容詞(sublime)を正確に定義する価値をもっている。」sublime について、LE PETTIT Larousse UILLUSTRE, 2004 では次のように定義し、例文を載せている。
SUBLIME ADJ. (lat.sublimis, haut)1.D'une haute valeur morale, intellectuelle ou artistique ; noble. Sublime abnegation.
知的あるいは芸術的な、高い倫理的価値の一つ。崇高な。崇高な自己犠牲。

華埜井先生はスタンダールのキリスト教礼讃を、崇高という概念にふさわしいと評している。先生のスタンダールの内面描写をさらに引用する。「『イタリア年代記』の中では、アヴェ・マリアは単に倫理的価値であるのみならず、劇を支配する糸でもある。それは出発点であると同時に最後の保証でもあるのである。」「宗教的感動は、従ってスタンダールにあっては創造的価値である。これによって彼は、行動における性格を、更にまた構成と文体における性格を徹底的に展開させることができるのである。」「彼は、フランスの合理主義者のブルジョアになるより、ドン・キホーテか、、迷信的なイタリア人になった方がよいとさえ考えるのである。」華埜井先生は、この「3.愛」の章において、スタンダールのイタリア滞在中における宗教的な反応を繰り返し、叙述する。「魂の真のよろこびを見出し、芸術の傑作とイタリア人の風俗と共に生きたよろこびを、スタンダールは宗教に負うている。」「イタリア人の信仰は単に内的情熱であるばかりでなく、絵画や遺跡の中で、キリスト教の崇高さを惹起するのである。」「崇高、自然、超自然について彼の抱いていた概念は、敬虔なイリア人との関係において定義され、豊かにされるのである。」この章は、スタンダールの、アウグスチヌスの広く流布したキリスト教の格言とイタリア人の誠実さと結ぶことばをもって閉じられる。「スタンダールはよろこんでイタリア人の同朋であることを認める。なぜなら「彼らは必要とあればアウグスチヌスの Credo quia absurdum ( 不合理なるが故に我信ず)を何度も繰り返す程の誠実さをもって信じている。」からである。」この章は、冒頭で華埜井先生が簡潔に述べられたことば「宗教的芸術あるいはイタリアの宗教のこうした絵画的な側面に対してスタンダールが示した愛」をスタンダールの『ローマ散策』を中心に確認し、次第に歴史的に遡り、中世のアウグスチヌスに至っている。むすび「憎しみ」と「愛」を経たスタンダールは、その結果をみずからの作品のうちにどのように昇華させたのであろうか。

華埜井先生は作品の中核になにがあるかを叙述する。「平穏な生活の中にあっては、彼ら(スタンダールのヒロインたちー田中注)は神聖なる掟を侵すこともなければ、その掟がどれ程の力をもっているかを考えてみる必要もない。しかし、彼らの無邪気な信心が、一旦神の恩寵の世界を知るや、神とのじかの対決という悲劇的な信仰が突然罪の意識を目覚めさせるのである。」「彼らは、かっては自分自身の殻の中に閉じ籠っているようにおもわれたが、罪の意識がその殻を破った。彼らには、もはや人間は孤立してもいなければ神の前ではただの一人でもないように思われる。一人の人間の過ちはそれだけに終らず必ず他人に及ぶ。スタンダールの倫理は、人間世界を再構成してゆき、かっては傲慢とか、あるいは無邪気さの支配していた世界から人間を抜け出させるのである。」

華埜井先生は本論文の結語として以下のように述べる。「スタンダールが愛し、称賛するもの、彼が描写し高揚させようと目指すもの、それは信仰をこのように劇的緊張の状態にまで導くことであったのである。」私はしかし、先生がこの結語の前に述べた一文が、決定的な重みをもって、みずからの若き日々からの近代というものの本質を射ぬいた先生の慧眼に、目が覚めるようであった。あるいは、この先生のことばと出会うために、この論考にまで至ったのではないかとさえおもうのである。「神の摂理のテーマは、自分自身と妥協しない、即ち自己との厳しい対決のテーマと不可分のものである。」私の感懐をここでは簡潔に記す。私は青春の日々から、近代に惹かれ、それがどのようなものであるかを探し求めてきた。しかしそれは常に自分の外に探し求めるものであった。しかし華埜井先生はスタンダールの生涯を研究する中で、近代そのものの本質をも、これ以上ない簡潔な表現で、私のながい探究に応えてくださった。近代はみずからの内に存在していた。そしてそこには厳しい対決が不可分であった。私は青い鳥を探すかように、みずからの外を探していた。近代がいかに厳しい対決の上に成り立っていたかをまったく顧みることもなかった。しかもそこにはつねに神が介在していた。華埜井先生への感謝は深い。

以下では、華埜井先生の二冊の著書についてふれる。しかし二書とも、フランス語学・フランス文学の専書に属し、私の現在の能力を超えるものであり、従ってここでは私の乏しい経験に即して、若干のコメントを記すにととどめたいとおもう。『悪魔のしっぽ―フランスの昔話ー』編者 華埜井香澄・牧野文子 三修社 1972年3月1日 第1版 1995年4月10日 第7版『新フランス語文法』著者 華埜井香澄・作田清・井上範夫・住谷在昶 駿河台出版社 1977年4月1日 初版 1984年4月1日 三版二書とも版を重ね、フランス語・フランス文学を学ぶ人々に益したことがうかがえる。

初めに『新フランス語文法』について記す。この書は、「発音」のあとに「Lecon 1」から「Lecon 10」があり、Lecon 全体で44章からなっている。そのあとに「付録」として数詞および句読符号を列挙する。「まえがき」によれば「基礎的な文法事項を、動詞を中心に10課にまとめてみました。」「年間20回余りの授業で無理なく学習し終えると思います。」とあるように、本書が大学でのフランス語初級の一年間の授業に合わせて作成されている。4名の著者よりなるので、華埜井先生がどの部分を担当されたかは不分明であるが、4名の合議によって編集されたものであり、当然華埜井先生の文法に対する考えがここに反映されているとみてよいであろう。

私がかつて愛用した朝倉季雄『朝倉初級フランス語』白水社1965年第1刷1985年2月25日第25刷、はその「まえがき」で「この本はフランス語をこれから勉強しはじめようとするかたのために編まれた独習書ですが」と述べられていてやや性格を異にするが、二書を比較すると、『新フランス語文法』の特徴が見えてくる。『朝倉初級フランス語』は全100章であり、やや高度な条件法現在形が出てくるのが第89章であり、第100章までの計12章で接続法までを述べる。これに対して、華埜井先生等4名の『新フランス語文法』では全44章のうち、29章以下44章までの計16章で、直接法半過去から接続法までを詳述する。本文全体で45頁であることを考えると、初級用文法書としては、やや高度な内容と言えるかもしれない。しかしあるいはこれが現行の文法教科書の通例であるかもしれない。『新フランス語文法』の本文は45頁であるが、そのあとに黄色刷りの「動詞活用表」が20頁付されており、全体としてフランス語学習においては動詞が最も重要であるというフランス語学の王道を、4名の著者によって確認し作成されたことがうかがえる。ひとつだけ、私の関心を示そう。フランス語学習においてなぜ動詞の活用が最も重要なのか。以下では、やや細かくなるが、スイスの言語学者Charles Bally シャルル・バイイの『一般言語学とフランス言語学』小林英夫訳、岩波書店 1970年8月31日 初版発行、を適宜参照する。小林先生はこの大書を訳了するまでに、1957年から1970年までの13年間を要したことが、訳書の冒頭の「解説」に記されている。

和光で中国思想史等を講じられた西順蔵先生は、若き日朝鮮の京城大学で小林先生とともに、学生を教えられた。西先生から、小林先生の面影を教えていただいたことが、今も懐かしくおもわれる。日本へ帰国するとき、西先生は小林先生とご一緒であったとうかがったことがある。西順蔵先生からは私の勉強の基盤となる中国哲学等のご教示を受けたが、本論考とは別の分野であり割愛する。かつて中国古代思想史の講座においてほぼ半年にわたって講義された易経は忘れ難い。またゼミ生と一緒に幾度か旅した憶い出は尽きない。特に群馬県の霧積温泉への二度の旅が懐かしい。先生の奥様が作ってくださったパウンドケーキを先生が手ずから切って私たちにふるまってくださった。夕食後先生と二人で話した折り、私が当時少しずつ参照していた段玉裁の『説文解字注』について尋ねたとき、先生が即座に「あんな難しい本、読めるかいな」とおっしゃったことが記憶に残る。私は咄嗟に、先生と私の本に対する、レベルの遙かな懸隔をおもいやった。

西先生の1984年の没後、社会史の阿部謹也先生が書かれた『北の街にて』講談社 1995年を読み、小樽にいらした阿部先生と東京の西先生との間で100通を超える手紙のやり取りがあったことを知った。西先生が霧積で阿部先生のことを、遠くを想いみるようにして話されたことがしのばれる。余事であるが、私は『北の街にて』読了後、阿部先生に、西先生をしのぶ短い詩を添えてお手紙を差し上げた。先生は未知の私に丁重なご返事をくださり、その中で、あの霧積のころが懐かしいとお書きになっていた。私も今、両先生を霧積と重ねて同じ憶いにかられる。そのころまた、川崎庸之先生とご一緒して旅した日々も懐かしい。

『西順蔵著作集』全3巻・別巻1巻が1995年から1996年に内山書店から刊行された。編著『原典中国近代思想史』全6冊、岩波書店 1976年ー1977年は、先生を慕う若き研究者たちと横浜の先生の御自宅で講読を続けた、当該主題の必須の文献である。

INFLUENTIAL 3

先生はまた、『岩波哲学小辞典』栗田賢三・古在由重 編 岩波書店 1979年、の中国関係の項目のすべてを執筆された。大学からの下校時、先生とご一緒したとき、先生からじかに伺った。この辞典は小型であるが、哲学の基本概念を簡潔にしかも精密に定義して、固有名詞等には原綴りを添えている。また索引が整っていて、人名索引・事項索引・外国語人名索引・外国語事項索引・ロシア語索引の5種の索引がある。索引だけで、279頁から321頁の43頁を要している。

私は小型辞典の有用性は極めて高いとおもう一人である。かつて辞書をほとんど利用なさらないとおっしゃっていた川崎庸之先生が愛用しておられた一冊の小型辞典がある。山川出版社から昭和32年1957年に刊行された『日本史小辞典』である。先生はこの辞典を称して「玉手箱のようだね」とおしゃっていた。常用ではないが、ときに必須となる小型辞典の数冊を列記する。小型辞典は一種不思議な存在であると、今もおもう。限られた容量の中に、だれもが必要とするものを、どう選択してどう記述するか。

OXFORD New Greek Dictionary. Greek-English English-Greek. Oxford University Press. 2008
THE BANTUM NEW COLLAGE LATIN & ENGLISH DICTIONARY. Bantum Dell. 1966
The Concise Dictionary of ENGLISH ETYOLOGY. Wordsworth. 2007
Oxford English Mini Dictionary. Oxford University Press. 1981
Paperback Oxford English Dictionary. Oxford University Press. 2001
LONGMAN Handy Learner's DICTIONARY OF AMERICAN ENGLISH NEW Edition. Person Education. 2000
PETIT DICTIONNAIRE FRANCAIS. Librairie Larousse. 1990
The Oxford Quick Reference German Dictionary. Oxford University Press. 1998
OXFORD New Russian Dictionary. Russian-English English-Russian. Oxford University Press. 2008

西先生からは、著述に関する大切なことを教えていただいた。1985年に三省堂から刊行された『熊野中国語大辞典』のことである。この辞典を編纂されたのは、西先生の一橋大学における同僚でいたした、熊野正平先生である。熊野先生は一橋において、中国語学を学生に教授されておられたが、先生の生涯の学績は、上記の辞典の編纂と刊行とであった。この辞典の編纂がいかに困難であり、さらにその刊行はさらに困難であった。しかしさまざまな障碍を超えて、先生の編纂着手以来30年を経て、この辞典は刊行され、多くの方々に先生の学績は受け継がれた。熊野先生が昭和46年1971年に書かれた「緒言」と1985年に三省堂によって書かれた「あとがきに代えて」を以下に引用して、先生が遭遇したその困難の一端をお伝えしたい。

緒言「この辞典の編纂は昭和30年着手、爾来約15年を経てようやく出版の運びとなった。(中略)カードの総数は約20万枚、整理によって除いたものが約5万枚、従って編纂工作の対象となったのは約15万枚であった。」「原稿カードをインフォーマントの中国人と共同して逐一検討するような愚直な方法は、かなり時間のかかる労作ではあったが、これは一度は誰かがやっておくのも異議無しとしないと考え、私は敢えて終始この方法を採った。(中略) 昭和46年 春 熊野正平 識」あとがきに代えて「本書は元来コンサイス・シリーズの一環として企画された。(中略)これをお諮りしたのは1954年(昭和29年)秋のことであった。」「この時期は国の内外において転換の時期でもあり、(中略)ひいては小社の倒産(1974年)という現実もこれに追い打ちをかけることとなっていった。(中略)1973年に本企画は已むなく中止となった。」「先生は黙し難い思いを胸底に秘められたまま遂に1882年(昭和57年)不帰の人となられた。(中略)まさに満84歳の御生涯であった。」「善意と努力と協力が結晶し、昨年10月10日(中略)上梓されたのである。その淵源より数えてまさに一世代、30年を要した。(中略)1885年4月8日 株式会社 三省堂」

INFLUENTIAL2

以上が熊野先生の編纂なさった辞典刊行までに至る経緯である。学問が無数の人々によって継承されて行くことに、何人も襟を正すであろう。ここに三省堂の許諾を得て、1985年11月3日の朝日新聞朝刊に、三省堂によってなされた本書の広告を再掲したい。簡潔にして精緻であり、本書成立の歴史を通観するにふさわしいとおもわれるからである。
朝日新聞 1985年11月3日 朝刊 © 三省堂

バイイに戻る。フランス語学習においてなぜ動詞の活用が最も重要なのか。 バイイの結論は以下である。
「フランス語では動詞意義部は完全に語尾と文法的限定のうちにおぼれている」 
「動詞はすべての品詞のうちで意味的自立性のもっとも少量のものである」
簡約すると、動詞はその語幹だけでは特定した意味を表せない。どうしても語尾によって示さなくてはならない。その必要性があらゆる品詞のなかでもっとも大きいからである、ということであろう。

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