Sunday, 26 November 2017

17 Professor MOMOSE from Papa Wonderful

17 Professor MOMOSE


​17 百瀬先生

 百瀬先生は言語学の先生です。田所さんは百瀬先生から、二十代の学生のときにはロシア語を、三十代の聴講生のときには言語学を、教えてもらいました。失礼な言い方かもしれませんが、長いお付き合いということになります。その年月の間に、田所さんが年を取った分だけ百瀬先生も年をとりました。先生と田所さんは十歳くらいしか年がはなれていません。田所さんが大学三年でロシア語を学んだとき、百瀬先生はまだ三十代のはじめだったはずです。

 先生は教室にはいってくるときよくスポーツ新聞を持っていました。先生がどこの野球チームのファンであったかもう忘れましたが、先生のひいきのチームが勝ったときは、なんとなく楽しそうな始まり方をしました。

 三十代で聴講生であったとき、毎年のように先生の言語学を聴いていましたが、年度の初めに教室で先生にお会いすると、「田所君、もう来なくてもいいんじゃない」とよく言われたことをおぼえています。

 言語学の細かい内容の多くはもう忘れてしまいましたが、それでもいくつかは鮮明におぼえています。ひとつはカルツェフスキーの「言語記号の非対称的二重性」の話、もうひとつは「プラハ言語学サークル」の存在です。それらの内実についての田所さんの感嘆は、ことばのようなとりとめもないものに対してよくそんなに理論を積み重ねていくことができるものだということでした。

 カルツェフスキーの話は、ことばというものがいかに柔軟なものであるかということを田所さんに教えました。またプラハ言語学サークルは、歴史が進行するなかで、ひとつの存在がいかに歴史のもたらす埋没性に抵抗できるかを、田所さんに教えました。プラハ言語学サークルは、第二次世界大戦後、構造主義の名の下に大きく世界に広がりました。構造言語学、とりわけ音素の二項対立、構造主義人類学への発展、数学におけるブルバキ集団、ヤーコブソンとレヴィ・ストロースとのニューヨークでの出会い、トゥルベッコイの音韻論。どのひとつをとっても、めくるめくような理性の営みでした。

 百瀬先生は、ことばが、ひいては考えることの柔軟さが、いかなるときにももっとも大切なもののひとつであることを、いつもていねいにさまざまな例を引きながら教えてくださいました。

 先生とはそれからもう久しくお会いしていません。長い年月をかけて無事大書を編集・完結なさったことなどをゆっくりお聞きしたい気持です。いつかまたあの古ぼけた階段をぎしぎしと上って、たしか「カルフォルニア」という名前であった喫茶店で、当時先生がもしかしたらほんとうに真剣であったかもしれないインベーダーゲームのことではなく、ただ一杯のお茶を飲みながら、音韻論や意味論でもない、すでに亡くなったやさしい人々の声音と、もどることのない人生の意味について、先生から親しく教えていただきたいと思っています。


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