31 A book
31 一冊の本
近年、郊外型の古書店が増えて、田所さんの隣の市にも今では二軒あるようになりました。古書店といっても、かなり大きなもので、一般の書店と変わりません。少し古い本がかなり安く求められるので、田所さんの兄弟も休日などにそれぞれが自転車を走らせて出かけていきます。帰りにはかなり重そうなビニール袋をさげていることもありますが、総額でもこどもの小遣いで十分まにあうことが多いのです。そんなわけで田所さんもときどきこどもと一緒に出かけていきます。こどもが疲れているときは、おとうさんの車はちょうどいい送迎車になります。こどもと一緒に、ときには妙さんも加わって、それぞれがめいめい好きな本を探すのはなかなか楽しいものです。原則としてはこどもはこどもの小遣いから払うわけですが、それをたまに田所さんや妙さんが払ってやると、こどもは「やったあ」と言って喜んでくれます。金額の多寡とは関係ないのです。その小さな歓声は、二人の大人にとっても楽しいものでした。明るい店内はそれだけでどこか祝祭めいていて、お祭りはやはりこどもが主役ですから、大人もこうして祝祭の剰余を分けてもらえるのだと、田所さんは思っています。
そんなある日、夏休みも終わりに近い夜、買い物のついでに、兄の高彦くんと一緒に古書店に出かけました。高彦くんは本屋さんが大好きなのです。家についで人生で二番目に長くいる場所だとよく言っています。
その古書店は今年の春できたもので、その日行くのが初めてでしたが、店舗全体がはなやかな黄色でしたから道路からもすぐにわかりました。店内は思っていた以上に充実していて、田所さんはそこで、なつかしい岩波新書と再会しました。といってもその本をかつて一度買ったというのではありません。高校生のとき本屋さんで立ち読みしただけなのです。それをそんなによくおぼえているのは、やはりその本が高校生であった田所さんの思考の重要などこかに触れていたからなのかもしれません。
本の表題は『生命とは何か』、著者は物理学者のシュレディンガーです。高校生の田所さんがこの本に注目したのは、たぶん著名な物理学者が生物学の本を書いたからでしょう。シュレディンガーの名前は高校生の田所さんでも知っていたのです。副題は「物理的に見た生細胞」となっています。この辺にきっと惹かれたのでしょうか。高校生の田所さんは本屋の店頭で立ち読みし結局購入しないでしまいました。岩波新書は当時低額で高校生でも容易に買えるものでした。それをかなり長い間立ち読みしたのに購入しなかったのには彼なりの判断が当時あったのです。彼はその本を全体として少し無理があるのではないかと高校生なりに判断したのです。その判断は、現在からすれば、半分は正しく、半分は正しくなかったといえるかもしれません。
今改めてページを繰りますと、その第五章は「デルブリュックの模型の検討と吟味」となっていて、のちには分子生物学の基礎を築いたことが明瞭となったデルブリュックの存在にいち早く注目しながらも、そこで展開されるのは全体的には細胞の持つエネルギー的な側面のみの検討であり、またそこに一貫して流れる論理は第六章「秩序、無秩序、エントロピー」という表題でほぼ推察できるように、生命エネルギーのマクロ的な検討であり、その後の分子生物学が確立するに至る遺伝子の構造的な面の追及はまったくなされていません。後世から見れば科学史的な限界とも言えますが、それを離れても生物学としては論理の展開に微妙な齟齬が感じられ、それが直感的に高校生の田所さんを立ち去らせた原因であったのかもしれません。
ちなみに原書の発行は「まえがき」などから1944年、岩波新書としての第1刷は昭和26年、西暦にすれば1951年のことでした。
ワトソンとクリックが「ネイチャー」誌へDNAの論文を送ったのが1954年ですから、シュレディンガーの本はその十年前ということになります。高校一年の田所さんがこの本に出会ったのが1963年です。DNA発見から十年目にあたります。ワトソンとクリックを知らず、多分DNAの発見も知らなかったでしょう。知っていれば、シュレディンガーの本の思考の方向の微妙なずれに、高校生であってももっと直接的に反応していたでしょうから。
しかしこの本をDNA発見の先蹤として位置づけること自体に、きっと無理があるのでしょう。そのように位置づけるよりは、いま古書店で手にした本を開きながら目につく、最終章である第七章の「生命は物理学の法則に支配されているか」という表題やそのあとのエピローグの「決定論と意思の自由について」という表題に示された、文明がもしかしたら機械論的方向へ向うかもしれないという現代の入口にあって、物理学者であるがゆえになさずにはおれなかった主張といってもよいのではないでしょうか。もっと短絡的にのべれば、この本の中には通奏低音的に当時振興しつつあったソ連をはじめとする社会主義国家への拒否とまでは言わないまでも茫漠とした怖れがあったように感じられます。そう見るならば著者の本来の主張を超えて、この本はあらゆる本がそうであるように、著者の意図を超えたところで時代的なポレミックな面を持っていたと言えるかもしれません。しかしそれは、ベルリンの壁が崩壊した今だからこそ、田所さん自身が明確に感じ取れるのであって、高校生のころにはまず全く無理なパースペクティヴであったでしょう。ただ若い直感によって、現代の進行方向を読み取ろうとしていたのかもしれません。
DNAに関していうならば、田所さんは、ワトソンとクリックよりは、デルブリュックやワシントンや「とうもろこしおばさん」バーバラ・マクリントックなどに興味をおぼえます。そこに田所さんが今、歴史と呼ぶものが確固として存在するからです。歴史は事実の集積ではなく、事実が指し示す方向なのです。今どこを向いているか、どこをめざしているか、それこそが歴史と呼ぶに値するものだと、田所さんは思うようになりました。DNAは発見されたのではなく、生成されたのです。しかしこの考えもまたひとつの見方、チョムスキーなどの生成文法の影響であるかもしれませんが。
田所さん自身が一人の時代の子なのです。
またマクリントックについては、柳澤桂子さんがその自伝的書物『二重らせんの私』の中で感動的な出会いを述べておられることを田所さんは忘れることができません。
こうして古書店は思いがけない大きな恩恵を田所さんに与えてくれました。高彦くんも文庫本を二冊ほど安く求めることができ、二人は充実した晩夏を楽しんで家に帰りました。
近年、郊外型の古書店が増えて、田所さんの隣の市にも今では二軒あるようになりました。古書店といっても、かなり大きなもので、一般の書店と変わりません。少し古い本がかなり安く求められるので、田所さんの兄弟も休日などにそれぞれが自転車を走らせて出かけていきます。帰りにはかなり重そうなビニール袋をさげていることもありますが、総額でもこどもの小遣いで十分まにあうことが多いのです。そんなわけで田所さんもときどきこどもと一緒に出かけていきます。こどもが疲れているときは、おとうさんの車はちょうどいい送迎車になります。こどもと一緒に、ときには妙さんも加わって、それぞれがめいめい好きな本を探すのはなかなか楽しいものです。原則としてはこどもはこどもの小遣いから払うわけですが、それをたまに田所さんや妙さんが払ってやると、こどもは「やったあ」と言って喜んでくれます。金額の多寡とは関係ないのです。その小さな歓声は、二人の大人にとっても楽しいものでした。明るい店内はそれだけでどこか祝祭めいていて、お祭りはやはりこどもが主役ですから、大人もこうして祝祭の剰余を分けてもらえるのだと、田所さんは思っています。
そんなある日、夏休みも終わりに近い夜、買い物のついでに、兄の高彦くんと一緒に古書店に出かけました。高彦くんは本屋さんが大好きなのです。家についで人生で二番目に長くいる場所だとよく言っています。
その古書店は今年の春できたもので、その日行くのが初めてでしたが、店舗全体がはなやかな黄色でしたから道路からもすぐにわかりました。店内は思っていた以上に充実していて、田所さんはそこで、なつかしい岩波新書と再会しました。といってもその本をかつて一度買ったというのではありません。高校生のとき本屋さんで立ち読みしただけなのです。それをそんなによくおぼえているのは、やはりその本が高校生であった田所さんの思考の重要などこかに触れていたからなのかもしれません。
本の表題は『生命とは何か』、著者は物理学者のシュレディンガーです。高校生の田所さんがこの本に注目したのは、たぶん著名な物理学者が生物学の本を書いたからでしょう。シュレディンガーの名前は高校生の田所さんでも知っていたのです。副題は「物理的に見た生細胞」となっています。この辺にきっと惹かれたのでしょうか。高校生の田所さんは本屋の店頭で立ち読みし結局購入しないでしまいました。岩波新書は当時低額で高校生でも容易に買えるものでした。それをかなり長い間立ち読みしたのに購入しなかったのには彼なりの判断が当時あったのです。彼はその本を全体として少し無理があるのではないかと高校生なりに判断したのです。その判断は、現在からすれば、半分は正しく、半分は正しくなかったといえるかもしれません。
今改めてページを繰りますと、その第五章は「デルブリュックの模型の検討と吟味」となっていて、のちには分子生物学の基礎を築いたことが明瞭となったデルブリュックの存在にいち早く注目しながらも、そこで展開されるのは全体的には細胞の持つエネルギー的な側面のみの検討であり、またそこに一貫して流れる論理は第六章「秩序、無秩序、エントロピー」という表題でほぼ推察できるように、生命エネルギーのマクロ的な検討であり、その後の分子生物学が確立するに至る遺伝子の構造的な面の追及はまったくなされていません。後世から見れば科学史的な限界とも言えますが、それを離れても生物学としては論理の展開に微妙な齟齬が感じられ、それが直感的に高校生の田所さんを立ち去らせた原因であったのかもしれません。
ちなみに原書の発行は「まえがき」などから1944年、岩波新書としての第1刷は昭和26年、西暦にすれば1951年のことでした。
ワトソンとクリックが「ネイチャー」誌へDNAの論文を送ったのが1954年ですから、シュレディンガーの本はその十年前ということになります。高校一年の田所さんがこの本に出会ったのが1963年です。DNA発見から十年目にあたります。ワトソンとクリックを知らず、多分DNAの発見も知らなかったでしょう。知っていれば、シュレディンガーの本の思考の方向の微妙なずれに、高校生であってももっと直接的に反応していたでしょうから。
しかしこの本をDNA発見の先蹤として位置づけること自体に、きっと無理があるのでしょう。そのように位置づけるよりは、いま古書店で手にした本を開きながら目につく、最終章である第七章の「生命は物理学の法則に支配されているか」という表題やそのあとのエピローグの「決定論と意思の自由について」という表題に示された、文明がもしかしたら機械論的方向へ向うかもしれないという現代の入口にあって、物理学者であるがゆえになさずにはおれなかった主張といってもよいのではないでしょうか。もっと短絡的にのべれば、この本の中には通奏低音的に当時振興しつつあったソ連をはじめとする社会主義国家への拒否とまでは言わないまでも茫漠とした怖れがあったように感じられます。そう見るならば著者の本来の主張を超えて、この本はあらゆる本がそうであるように、著者の意図を超えたところで時代的なポレミックな面を持っていたと言えるかもしれません。しかしそれは、ベルリンの壁が崩壊した今だからこそ、田所さん自身が明確に感じ取れるのであって、高校生のころにはまず全く無理なパースペクティヴであったでしょう。ただ若い直感によって、現代の進行方向を読み取ろうとしていたのかもしれません。
DNAに関していうならば、田所さんは、ワトソンとクリックよりは、デルブリュックやワシントンや「とうもろこしおばさん」バーバラ・マクリントックなどに興味をおぼえます。そこに田所さんが今、歴史と呼ぶものが確固として存在するからです。歴史は事実の集積ではなく、事実が指し示す方向なのです。今どこを向いているか、どこをめざしているか、それこそが歴史と呼ぶに値するものだと、田所さんは思うようになりました。DNAは発見されたのではなく、生成されたのです。しかしこの考えもまたひとつの見方、チョムスキーなどの生成文法の影響であるかもしれませんが。
田所さん自身が一人の時代の子なのです。
またマクリントックについては、柳澤桂子さんがその自伝的書物『二重らせんの私』の中で感動的な出会いを述べておられることを田所さんは忘れることができません。
こうして古書店は思いがけない大きな恩恵を田所さんに与えてくれました。高彦くんも文庫本を二冊ほど安く求めることができ、二人は充実した晩夏を楽しんで家に帰りました。
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