21 歴史
田所さんが三十代で、ふたたび大学で学びはじめたとき、もっとも強い関心があったのは、歴史でした。特別な地域、特定の時代に関心があるというより、いわば歴史そのもの、歴史の全体にその進行に興味がありました。今ならば歴史の転換や近未来の予測というふうになるかもしれませんが、そのときはそのような思いは少しもありませんでした。いうならば歴史というものがどのようなものであるかを、自分の体で感じてみたかったということになるかもしれません。もっと正確には歴史というものに興味があるが、それがどのようなものであるのか、ほとんど近づく糸口がなかったということであったと思います。
田所さんは、昼間は毎日在庫管理の仕事を続けながら、夜週に一日か二日、大学へ聴講生として通っていました。以前にロシア語を教えてもらった百瀬先生から言語学を学びましたが、田所さんがもっとも力を注いだのは、山野先生の歴史と南先生の哲学でした。
山野先生からは日本の平安時代の歴史と文学とのつながりを教えてもらいました。南先生からは中国の古代思想史を教えてもらいました。南先生の中国古代思想史は夜の講座の一時間目でしたから、聴講する人はいつも小人数でした。もっともどの時間に置いても先生の講義ではそうだったかもしれません。あるときなど先生はいつものようにぷらりとした足取りで教室に入ってきて、かなり広い教室ですがそこに私しか見ないと、「今日はやめにしようか」といたずらっぽく話しかけてきました。折悪しくそこへ一人の学生が来てしまいました。しばらくするともう一人というふうにして結局数人は集まってしまいましたので、先生はいつものように広告のチラシの裏側を四つ切にして左上をホチキスで止めたペーパーの細かい書きこみを見ながら、いつものように低く小さい声でぼそぼそと話し始めました。ぼそぼそと言うのはしかし田所さんがそのように聞いていたというのではありません。一般の学生が多分そのように聴いていたと田所さんは思っていたのです。
南先生の声は間近であるいは小さい教室で聴けば、人はその声がいかに明晰でいかに澄明であるかをいやおうなしに感じ取ったことでしょう。しかし大教室ではそれは無理でした。先生のおはなしを速記に近い形で克明に記録すれば、それはそのまま著作としての文章になりました。聴講を始めてまもなく、自分のノートを読み直していた田所さんはあるとき愕然としました。それはまったく著述そのものだったからです。端正で精確、こういう話をする人がいるということがまずもって驚きでした。田所さんはいままでそのような人に会ったことがなかったのです。
あるとき先生は天の話をしました。黒板に中国の古典の原文を書いて説明を始めます。そのとき天という漢字がある字の上に行ったり下に来たりします。そうすると天の意味がすっかりかわってしまうのです。中国語の文法は漢字の配列の中にありますから、それは当然といえば当然ですが、このように明晰に天の概念の変異を、もっと正確には天の概念が中国語の行文によって変異するシステム全体を、かくも短時間の内にかくも明瞭にというのは行文によって検証可能な形で叙述することですが、それを淡々と行なう先生に接して、田所さんは驚愕しました。
それからは辞典というものを見る目が少し変わりました。もっとも中国では語彙を集めた辞典というものはずっと作りづらいものであったようです。近代に入ってそうした辞典を作ろうとしたとき、正確には詞典と呼ぶのでしょうが、熟語を集めていたら、一冊の辞典全体が「一」の項目で終わってしまったそうですから、これを漢字の全体に及ぼそうというのは考えただけでもたいへんだったでしょう。
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