Thursday, 29 August 2019

To Winter 4 Eve

4 Eve
 
4 前夜


雨になりそうな天気だったが、Aは工芸展を見に行くのに、Iを誘った。  都市線をK駅で降りて簡単に食事を済ませてから、大通りへ出た。 ―このまえ一緒に来たのはいつだったかしら? Iは遠くをふりかえるように言う。 ―いつだったろう、ほかの人とは来なかったの? ―たまにはそうしたいけど、だめみたいね。  Aを見て彼女はほほえむ。  降りはじめたが、傘をさすほどでもない。 天使のやさしさで振る雨。 ―こんな日に誘ってわるかったね。 ―そんなことない。うれしかったわ。 以前よりあかるくなった彼女を見ると、ほっとする。 通りにはいろんな看板が見える。 左手奥にたしか老舗の海苔店がある。  ―今日はかえりに海苔を買いたいな。 ―海苔? ―少しだけいい海苔を食べてみたい。ほかにおかずもいらないし。 ―そんな食事ばかりなの? ―朝はね。夕食はちゃんとつくるよ。 通りの窓に、雨の都市で語らう人たちが映し出される。 工芸展はM百貨店で毎年秋に行なわれていた。 ―十日くらいで終わってしまうと、なかなか見に来れないものだね。 ―誘ってもらってよかったわ。 ―ひとりで来ようか、すこしまよったんだよ。 ―ありがとう。 傘をさす人はほとんどいない。  二人が再会して、三度目の冬がまもなく来る。こんなにしばしば会うようになったのは、比較的最近のことだ。  AがG市に移ってからはS駅に出やすくなったので、むかしよく行っていたK書店にまたときどき出かけるようになった。そこでI と再会した。  車と人がしだいに増えてきた。  中心街へ入ってくると、点灯した車のライトがまぶしい。建物が高くなってきた。二人の頭上には、はなやかな、赤と紺の地に金で 縁取りされた小旗が歩道に沿って飾りつけられ、それがずっと先まで続いている。 ―祝祭の前夜のようだね。 iii 何に対しての前夜だったのか、自分がその中にいるとおもった日々が、かつて確かにあった。 ―前夜? ―そう、前の日の夜。 ―クリスマスのような。 ―そんなすてきなものじゃなかった。でもきっと、なにかを待っていたんだろうね、自分なりに。 ―なにを待っていたの? Iの髪に車の光が移って行く。 ―もうよくおもいだせないけど、たぶん、やすらかな自分をかな、へんな言い方だね。 ―そんなことない。私はもっとだめだったから。 ―でもなにも来なかった、たぶん。 祝祭は遂に来なかったのかと、あらためておもう。 こまかな雨が行く人の肩をぬらしている。 ―それでもなんとかなったんだね。こうしているから。  いつからか祝祭を待つおもいは消えた。あるいは祝祭も前夜も、知らぬ間に過ぎて行ったのかもしれない。 二人が、というより二人を含む何人かがともに大きなテーブルを囲んで学んでいたころから、もう遠いところに来ていた。 ―Yが亡くなったのか。 Iはだまってうなずく。 再会したK書店を出て、立ち話をしているうちに、Yが亡くなったことを伝えられた。Aは彼の死を知らなかった。 ―いい人ははやく逝ってしまう。  言語学のほとんどすべてをを教えてくれたCも早く逝った。塔と橋のある古い都市をこよなく愛したC。彼が書き残したものの中に 「カルパチアの月」というのがあった。 彼は記す、会議を終えてキエフを発し、カルパチアの山に月と教会を見て、ひたすら西へ向かい、スロバキア、モラビア、ボヘミア を過ぎ、遂に「黄金のプラハへと着いた」と。彼の青春であったプラハ。 あれほどの言語を自在に駆使しながら、彼からもうその逸話を聞くこともできない。新聞は 彼の死を、小さな見出しで言語学の天才 と報じた。 夕ぐれにはまだ時間があるのに、イルミネーションが灯り始めた。雨がこまかく降っている。M百貨店も右手前方にあかるく光って いる。 ―帰りにコーヒーを飲んでいかない? 手前の新しそうな店を見ながら、Iが言った

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