冬へ
里行
1
背の高い建物群が青緑色に見える。都市線の高架の下を南北に広い道路が走り、そこをゆっくりと路面電車が進んで行く。駅を降り
て歩道をすこし南に行くと、Aの住まいに着く。一階はブリキ屋で外付けの階段を上った二階に住んでいる。物置のように使われてい
たところを住まいにかえただけの殺風景な部屋だが、窓が道路に面した東と、駅の方の北に取ってあって明るい。
彼が初めてこの駅で降りたとき、曇り空の下にくすんだ高い建物が背景となった風景になんとなく惹かれて、歩き始めてすぐに目に
ついた貸家の張り紙のままに、「トタン・ブリキ製造」と看板があるガラス戸を開けて、その場で部屋を借りることにした。
駅からここまで来る途中の路面電車の中継基地とでも言うのか、そこから道路に向かって電車が出て行く光景が今も初めて見たとき
のように好きだ。線路は赤く錆びていて、車輪の当たるところだけが、銀色に光っている。電車はいつも道路に向かってカーブしてい
くときにギシギシときしんだ音を立てた。
彼はここから都市線に乗って仕事に行く。仕事は倉庫での仕分けで、見た目ほどの力仕事でなく、作業は明確だ。乾物系の食料品と
日常の家庭雑貨を、注文先の伝票に合わせて仕分けして台車に載せていく。納入先は町のスーパーなどが主だ。倉庫の中は夏でも涼し
いが、秋も深まるとコンクリートの床が底冷えするようになる。その代わりに昼休みの日光浴がなんとも快い。ときどきそのためにこ
の仕事で働いているのかとおもうくらいだ。年上の同僚のSとは気が合っていて、なんでも気楽に話せる。
―いまどきブリキ屋とはめずらしいね。
住まいの話になったとき、Sがなんだかなつかしそうに言った。
―いや私が勝手にそう言っているだけで、最近は銅板をたたいていることが多いです。
―というと、お寺の屋根かなんかかな。
―それはわかりません。いつもおそくまで仕事をしてます。でもきっとそうかもしれません。
主人と二人の若者が黙々と仕事をしている。ときどき裏のトラックに出来上がったものを積んでいる。
―それでその町が好きなのか。
―いい町ですよ。ずっと住んでいてもいいくらいです。
―おれはもうずっといなかに住んでいるから、都会はだめだ。
―都会といえるほどじゃないですけど。
―でも高い建物があるんだろ。
―駅のむこうですが。高架線のむこうは高い建物なのに、こっちはむかしのままの家が多くて。そこを路面電車がきしみながら進んで
行くんです。
―そこをずうっと行くと古本屋街に着くんだったな。
―そう、それもよくて。
午後の休憩のときの会話。あと一息で一日が終わる。
―こないだ、彼岸のものを入れたとおもったらもう十三夜か。
納入品で季節の推移がわかる。
―Aさん、片見月はいけないというのは知ってるかい?
―一応。十五夜をやったら、十三夜もやらないといけないということでしたっけ?
―そう、若いのによく知ってるね。
もうそんな年でもないと、Aはおもう。
Sは五十代後半、いろいろなことをよく知っているし、人生をたのしみながら生きている。春は花見、秋は紅葉を奥さんと見に行く 。
それをまたたのしそうに話してくれる。釣りも好きで、よくわからないAに、こまかく話してくれる。
―しかし釣りも仕事をしてないと、おもしろくないな。
―そうですか。
―まえに、自分の仕事を廃業したとき、毎日釣りをしたが、あまりおもしろくなかった。
Sはむかし電気店をしていたが、それをやめてから、いくつかの仕事を経て、いまの仕事となった。そのへんのこともよく話してく
れる。船のロープを作っている会社で働いていたことや、トラックの集積場で働いていたことなど。どの話もいつも淡々と話してくれ
る。
―船のロープってどういうのですか?
初めてその話を聞いたとき、まっさきにたずねたことだった。
―そりゃあ、いろいろさ。それを注文にあわせて切っていく。これがなかなかたいへんでね。たとえば荷揚げ用のロープとか 、頑丈で
ね。
ふたりはこうして倉庫に行き着いたのか、とAはおもった。
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