Wednesday, 2 October 2019

Rugby from Resting Elbows Nearly Prayer 2007

17 Rugby
from
Resting Elbows Nearly Prayer   2007

17 ラグビー
3年の二学期から、体育の授業はまったく自由になった。好きな種目をやってよかった。田所は、ラグビーを選んだ。

3年間で一通りのものはやった。体が硬くて不器用だから、マットなどの機械体操は一番だめだった。剣道は外から見ると格好いいが、内実は大変なことを知った。第一、顔がかゆくなったとき、掻こうとしたら、面が邪魔して掻けないのにはあせった。足はすり足というので忠実にやっていたら、大きな豆を作って痛くて困った。おまけに実践で剣道部の宮島とやったら、まったくもろにお面が入って、しかも後頭部に入ったから、頭がしばらくしびれるくらいに痛かった。これが剣道の打ち上げでそれ以後したことはない。

柔道も格技室で行うのがなんとなく奥ゆかしくて格好よかったが、志田と対戦したのがまったくまずかった。柔道部のもさだから、体は大きいし、ぜんせん動かない。左右に移動しているうちに、足をかけられてすこーんと一瞬中に浮かんで、倒された。見事というしかない。これで柔道もやめた。とてもやってられない。他の室内競技はしない。土が好きだったから。テニスもみんなけっこうやっていたけれど、コートが校庭の隅の方にあるのがなんとなく窮屈に感じられて、結局一度もしなかった。

校庭はサッカーかラグビーだったが、いつのまにか、みんなラグビーになっていた。これが結局無条件で楽しかった。田所は足が早いし、それなりに俊敏だし、校庭には陸上で慣れ親しんでいたから、自分の庭のようなものだった。それに秋から冬の空がいい。キーンと澄み切って寒く、すべてを忘れることができる。
だから三年の秋からは、体育がいちばん楽しみになった。みんなもそうだった。決していきりたつのではなく、それでいて真剣で、必死に走り、必死につかまえ、必死にスクラムを組んだ。体育着はぼろぼろになった。後ろのポケットはつかまれて取れてしまった。スクラムやつかまりでひざの部分もぼろくなった。それでも走るのは無上にたのしい。田所はやややせているので、スクラムにははいらず、もっぱらウイングで走り続けた。何度も何度もタッチダウンした。あの感触。これも多分永遠に忘れない。
体育が始まるとき、準備運動をかねて、最初、校庭を5,6周する。ジョギングではなく真剣に走る。そのとき、最後のコーナーで先頭にいるのは、いつも田所と熊谷だ。熊谷は卓球部で足が速い。彼と最後の勝負をする。いつも田所が勝ち、熊谷が悔しがる。それが楽しかった。
あるとき、ラグビーの途中で、校庭の真ん中にいて、校舎の方を見ると、村木と諏訪さんが校庭の縁に立って、こっちを見ている。別に田所を見ているわけではない。ラグビー全体を見ているようだ。体育は2時間続きだからその途中の休み時間で、体育はそのまま続行していたのだ。二人は休み時間で出てきていたらしい。田所が手をあげて大きく振ると、わかったらしく、二人でちょっと見あって、それからなにか言ったけどそれは聞き取れなかった。口に手をあてて、もう一度伝えてくれた。がんばってねー。そうして二人は校舎の方に帰っていった。



Tokyo
2 October 2019
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