Saturday, 30 September 2017

To Winter 6 Bulbul

6 Bulbul 
ヒヨドリ
仕事を終えて、駅から家に帰る歩道の隅に、鳥がうずくまっているのを見つけたのは一週間前だった。 ヒヨドリだった。秋雨が何日 間か続き、町は灰色にくすんで見えた。高架線の向こうの高い建物群が雨の中で中世の塔のように見えていた。高架線をわたる電車が こもったような低い音で過ぎると町は一瞬しずまり返ったようになる。 鳥はもう死んでいるのかとおもったが、手でその背から腹に触れると、こわばった体が小刻みに動き、首を揺らした。まだ生きてい るとおもい、両手で抱き上げると、鳥の膨らんだ胸のかすかな鼓動がてのひらに伝わってきた。両目を閉じたまま、動きは鈍い。寒さ のためか、餌を得られなかったのか、胸の毛はまだ雛の柔らかい産毛を残したままだった。独特の頭の霜降りの毛からすぐに ヒヨドリ とわかった。たぶん夏の終わりに生まれたばかりで、尾羽はすでにながく伸びていたが、まだ独り立ちして二ヶ月たったかどうか、そ んな鳥だった。  Aは小さいころ、何度か鳥を飼った。正確にはAの母が、落ちた雛や傷ついた鳥に餌をやって元気になると放してやったのを、一緒 に世話したことがあった。丘陵に近かったせいか、小鳥たちはたくさんいた。鳥の名人という年寄りもいた。一度、ヒバリかオナガか 弱ったままで、充分に普通の餌を食べない鳥の世話をしたとき、その名人の家に餌を買いに行った。家は普通の民家で、玄関から声を かけると、何度か友達同士で見に来たので顔だけは知っている小柄な老人が出てきた。 Aが小鳥の状態を放すと、老人はいったん奥に入り、戻ってくると、手にたぶん老人が調合した餌を持っていた。Aの前で老人はて のひらにすこし餌を出してそれをなめ、うん、これでいいといったふうにして渡してくれた。この人はほんとうに名人なのだ、そうお もったことを、今でもはっきりとおぼえている。そういう人が町の片すみにひっそりと住んでいることに対して、Aは言い知れない安 堵のおもいをいだいた。その気持は今もそのまま続いている。 てのひらに鳥の重みを受けたまま、Aは住まいに急いだ。鳥は右目を開けてくれたが、左目は閉じたままだ。小さいころから、鳥は iv 目を閉じたらだめだと聞かされていた。にび色のまぶたが左目をおおい、そちら側から見ると死んだように見えるが、てのひらにはま だ胸の鼓動が続いている。水をやって搔き餌をやらなくてはとおもう。とりあえずは、小麦粉か米粒かで代用するしかない。幸い先日 八百屋で、安い出たての小さいみかんを買ってきてある。それはたぶん好きなはずだ。すぐだからがんばれと、彼は急いだ。 部屋に入ると、隅の方に新聞を敷いてその上に載せた。足が弱っているのかうずくまっている。あまりいい兆候ではない。目を見る とどうにか左目も開けてくれた。部屋の暖かさがいいのかもしれない。水をスプーンでやるがまったく飲もうとしない。顔を背ける反 応もしない。ヒヨドリのくちばしは細く鋭い。こんなに細いものなのかとあらためておどろく。たしかに虫をついばむか、果物をつつ くのにはいいが、ふつうに搔き餌を食べるのにはどうか、そうおもわせるくらい細い。小麦粉を練って指先につけてくちばしに持って いったが、食べようとしない。ためしにくちばしを開けてみようとしたが、ぴったりとかたく閉ざしたままだ。みかんを切って持って いったがこれもだめ。食べる力さえないのか。それでも万が一飛び立つと困るので、とりあえず、スパゲッティをゆでるときに使う金 ざるでふさいでおいた。ヒヨドリの長い尾羽がすこし曲がって窮屈そうだがしかたない。しばらくそっとしておくことにした。さっき に比べれば、目を開けて生きている。それが続けばなんとかなる。 自分の夕食を準備しながらも、鳥の様子が気になった。その間に一二度羽をばたばたさせた。体が温まってすこし元気になったのか もしれない。 食事を済ませて、鳥にまた餌を与えようとしたが、今度は鳥があとずさりしたり、首を振ったりしてやはり食べようとしない。おま えにも意志があるのかとおもい、それはそれでいいことだとおもった。いい兆候だ。元気になったらどこに放そうかと、それが一瞬気 になった。二つ割りみかんをもうひとつ金ざるの中に入れて、部屋の隅に置いた。野性があるならその方が勝手に食べられるかもしれ ない。今すぐに死ぬことはなさそうだ。 遠くで雷が鳴っている。これで雨もおさまるのかもしれない。

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