Saturday, 30 September 2017

To Winter 3 Inscription of ancient China

3 Inscription of ancient China
甲骨文
日曜はよく晴れたので、路面電車に乗って古本屋街に出かけた。広い幹線道路を十分も行くと古本屋街に入る。街路樹のイチョウは 黄葉にはまだすこし早い。左右に並ぶ茶褐色の煉瓦の建物が古い石畳の歩道と調和している。むかしは都市線で来て、古ぼけたD駅で 降り、石畳の歩道を南下して古本屋街に入った。だから今は楽になった。路面電車の停留所からすぐ南に、よく行く中国書籍のN書店 がある。ルーティーンで歩くのがいちばん楽なので、いつの間にか同じ本屋に寄ることが多くなってしまった。 N書店はこの辺の本屋の通例で間口が狭く奥に長い。通路は二つ、書棚は四列。いちばん奥に店員がいる。以前一度うろ覚えの本に ついてその在庫をたずねたことがある。そうしたら分厚い目録を黙ってぽんと渡されて、困ったことがあった。それ以来あまり不用意 にたずねることはしない。 入口付近は一通り見ているので今日は奥に入っていく。目がうす暗さに慣れるのにほんのしばらく時間がかかる。年取った大柄でめ がねをかけた店員が、図書館へでも発送する荷物なのか、黙々と作業を続けている。置いてある伝票には未知の書名がならんでいる。 Aは邪魔にならないようにして、そのすぐ前の本棚を見ることにした。 中段のちょうど目につきやすいところにあった、大冊のうすねずみ色をした表紙の甲骨文字の辞典に手を伸ばした。手に取るとずし りと重い。独特の油のにおいがする。今はむかしのようなほんとうの油印本というのは少ないのかもしれないが、中国の本には独特な においがある。中は黒い枠取りに縦に罫線が引かれ、そこに手書きの文字が印刷されている。文字のくずしはそれほどきつくない。手 書き文字の中には、あまりに達筆すぎて読みにくいものも多いが、これならばなんとかなる。 前書きが長いのでそのいちばん終わりを見てみると、この辞典を作るのに八年かかったと書いてある。前書きのあとの目録に見出し の甲骨文字がならんでいる。本文を見ると「字形結構不明」「義不明」と書かれているのがかなりある。正直で好感がもてるので買う ことにした。これだけ重いとこれから歩くのに不便だったが、帰りにもう一度寄るのもめんどうなので、そのまま買ってしまった。 向かい側の歩道をすこし南に行くと、古い二階立ての喫茶店がある。一階は事務所のようになっていて階段を上がると店になってい る。昼食をとらずに出たので、簡単に済ますことにした。客はいつもほとんどいない。これで大丈夫なのかなとおもうが、 まだ続いて いる。 窓から下を見ると、人々が急ぎ足で歩道を通って行く。本屋の人なのか、大きな竹製の荷台を付けた頑丈な自転車をこいでいく。と きおり路面電車が過ぎて行く。この風景はもう久しく変わっていない。彼はここで犀のようにひとり歩みさまよってきた。 彼が甲骨文字に興味を持ったのは、ずいぶん前になる。どんなものでも始原というのは心惹かれるものだ。ここから文字が始まった 、 それだけで充分な根拠となった。それからしばらくは入門書や解説を読んで過ごした。或る概念とそれを表わす図形、そのデフォルメ された描出が時代とともに変化していく。 しかしまもなくして、始原の前にはなにがあるのかとおもった。なにもない。なにもないところへ向かっていってどうなるのか。概 ii 念はだんだん単純化し幼稚になっていき、その先端にはなにもない。そうおもったらあまり続ける気がしなくなってしまった。 それから引越しなどがあり、幾冊か集めた本もいつか散逸した。それなのに最近また甲骨文字のことを気にするようになったのは、 花火の版画のためだった。その画面の流動を考えているうちに、図形には時間が内在する、それを甲骨文字が示していたからだ。 版画の中で、花火はつぎつぎに打ち上げられ開いてゆく。それが無限に小さな版画の中で繰り返される。閉ざされた時間の中の出来 事と言ってもいい。文字にもこうした閉ざされた時間が内在するかもしれないとおもった。 かつて王国維の観堂集林を見ていて、ひとつの文に出会った。それは「亙」という文字について書かれたものだった。この文字には 「わたる」とか「永続する」とかという意味がある。王国維は言う、その甲骨文字において、上下に引かれた 二本の水平な線は川岸で あり、その間に一艘の三日月型の小舟がある、小舟は両岸の間を行き来する、それで「わたる」とかその行き来が「くりかえし行なわ れる」という意味になる、と。 王国維が漢字の中に時間が内在することを構造として明示したと感じたとき、その精密な推論に打たれはしたが、そのときはそのま まに過ぎた。それが今、花火の版画によって白日の下によみがえってきた。 観堂集林を彷徨の日々にもとめたときは、かろうじてその一部を理解しえただけだったが、そこには、希望が一条の藁のように輝く ことが予感されていた。それが今現実となった。 観堂集林釈西において、「西」という字が鳥の巣であることを示し、史籒篇疏證では「中」という字が旗が風で同方向になびく状態 であることを示した。すなわち鳥は日没に巣に帰り、旗は集団の中心で風になびく。まさしく文字の中に時間がながれていた。特に 「中」の字形で旗が左右になびくものを同一の風では起こりえない現象だとして、その字形には伝写の誤りがあり、譌字であるとした。 王国維の文はどれも比較的短いが、割注の一点一点の資料がその背後に広大な史実を想起させる、めくるめくような 鋭い見解に満ち ていた。文学においても人間詞話で微細精密に言う、空中の音、相中の色、水中の影、鏡中の象、言に尽有りて意は無窮たり、と。言 語の有限と意味の無限に触れる。また言う、「細雨流光を湿す」の五字は皆能く春草の魂を撮るものなり、と。王国維は 1877年に 生まれ、1927年に没する。研ぎ澄まされた天稟で近代を生きた、あるいはみずからが近代そのものを築いたのか。 部屋に帰ってもとめてきた辞典を通読しているうちに、「育」の甲骨文字に惹きつけられた。この字は上が出産する女性の形象、下 が生まれてくる子の形象ということがはっきりわかる。古形では従って子は逆さまに書かれている。資料によっては出産時の羊水を明 示しているものもある。つまりこの字の原義は出産そのものだが、出産後はすぐに養育が始まる。従って「そだてる」という意味が出 てくると記されていた。この文字に内在する時間という観念からすれば、出産の準備から出産そのもの、そして養育というふうにとる ことができる。 気になったので、この字についてあらためて、王国維が小学においてもっとも服膺した段玉裁の説文解字注で見てみると、逆さまの 子は善くないので、それを善くさせるべき意味を持つものだ、と書かれていた。その説明は、 「逆さまの子」という部分に原資料の面 影を残してはいるが全体としては抽象的で、原資料が持つ出産の具体的な経過を示す図形とそこに内在するとおもわれる時間からは、 かなり離れてしまったものになっていた。 稀代の碩学、段玉裁は1815年に没する。1899年発見の甲骨文字は遂に未見だった。

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