Dear Y.,
1. 言語の定義から言語研究の方向決定へ
1.1
私は日本語の「研究」ということばはあまり使わないのですが、ここでは言語について考えることを簡単に言語研究ということばで示しますと、質問は、言語研究の目的 aim と言語研究の応用 application ということになるかと思います。
ここで言語とは何か、ということになりますと、一般的には、言語は、人間がその心の状態をかなり精密に伝達する一方法、というようなことになるかと思います。ここでは通常、人間が話し聞くことばが想定されています。いわゆる自然言語 natural language です。しかし私は、みずからの言語研究 research on language において、こうしたいわゆる言語の定義を行っていません。私の研究はもちろん、自然言語を含みますが、もっと広範囲なものです。しかも私の考えでは、言語を自然言語で定義しても、あいまいなものにしかならないと、思います。数学基礎論で超言語などが提唱される所以です。
1.2
私はですから、自らの研究を、言語学とは呼ばず、英語でも linguistics、philologyなどの用語を用いていません。これらの用語は、自然言語を中心にしているからです。私の場合、もっと広範囲となりますので、ただ、research on language などと書いています。この広い言語、私の用語ではBroad Languageとなりますが、これについては後述します。
それで、そうした未定義なままで、混乱などは起こらないかということですが、私の場合、書かれた内容で、私が言う言語の状況が(多分)わかりますので、それ以上の、あいまいな定義は用いないことにしています。用いるのは主に、数学ですから、その公理、定理などによって、築かれている世界が私が示す言語ということになります。数学はギリシャ以来、しばしば5000年の歴史などと書かれますが、長い歴史の中で、洗練されてきた結果を有しています。よく確率や統計の分野で、この結果は1億回検証したから、多分大丈夫だなどと使われますが、それでは1億1回目に検証したしたとき、不具合が出るかどうかは、保証されません。
1.3
数学は絶対的な保証がなければ成り立ちません。それが証明 proof ということになります。しかし「完全な」ということばは普通用いられません。Kruto Godel が「数学に内在する方法を用いて数学の完全性を証明することはできない」という不完全性定理 Incompleteness theorem を1928年に証明してしまっているからです。今では岩波文庫でその翻訳も出ていますが、私もその全容は今もよく理解はしていません。証明も幾種類かで読みましたが。外部から見ると不安のようにも見えますが、数学自身は、別にこうした定理があっても揺るぎません。
1.4
次にたとえば、言語において、私が距離ということばを使うとします。距離ということばそのものを、自然言語で厳密に定義することはかなり難しいでしょう。
言語空間などということばも使われたりしますが、空間を定義するのは、自然言語ではやはりかなり困難でしょう。
言語の変化などということばもよく使われますが、どこからどこへどのように変化するのか、変化するとしたらその実体はなにか、実体がなければ、その変化ということそのものが無意味になります。またそもそも変化とはなにかなどと考え始めると、もはや収拾が着かなくなります。Wittgensteinの有名な言葉に、「哲学は誤解の歴史だ」というのがありますが、言語の曖昧性の上に、砂上の楼閣のようなものを築いてきたようにも思えます。
基本的に言語を言語で定義しようとしても、困難が生じます。委細は省略しますが、特に1970年代以降、数学基礎論の分野で進展があります。昨年夏に、竹内外史という数学基礎論の日本のPioneer が死去しました。私も彼から多くを学びました。数学セミナー、今年2月号が彼を特集しています。私にはすごくおもしろかったです。
しかし私は哲学を否定しているわけではありません。逆に私の根幹は哲学から派生しているとも考えるからです。
1.5
このようなわけで、私は言語のBasicなものを、言語で記述することはしなくなりました。こう言うと簡単ですが、私の場合、ここにたどり着くのに、20代から40代くらいまでかかりました。
1970年代の終わり、多分1978年の夏休み(教員でしたから)31歳、今も東京にありますが、T研究所の研究応募論文に取り掛かったことがありました。別に賞を得たいとかということではなく、そういうことをきっかけに、自分の課題を確認したかったからです。内容は言語における文とは何か、ということで、現在考えていることの準備段階のようなものを自分なりにまとめようとしたわけです。方法は、数学の集合論と数学基礎論を用いようとしました。結論的には、書き始めるとすぐに自分の中の当時の集積では全く自分が目指すものが書けないことを納得し、この計画は放棄されました。ちなみに欧米では数学基礎論は数学の一部門よりも、論理学の一部門に位置づけられています。私もその方がよいと思います。
1.6
この時中止したのはなぜか。私の言語と数学に関する知見が少なく、能力も低いということは当然ですから、それ以外を挙げます。
#1数学の集合論を主に用いようとしたが、当時のその分野の数学の成果だけでは(多分)複雑な言語の状況を処理できない。
#2数学基礎論は論理の展開を追うものであって、言語そのものの根源に迫ることは(当時の成果では)できない。
#3言語全体は広大で、私の中で言語のどこに焦点を当てて論を進めるのかが、確定していない。
などがおもな中止の理由でした。
1.7
私は1979年32歳で大学に戻り、言語学の千野栄一と再会し(初めて会ったのは1969年、ロシア語の先生としてでした)、そこでおもに1920年代のプラハ言語学サークルの状況を詳しく教えてもらいました。その中でもSergej Karcevskijの存在が圧倒的に私の中に入ってきました。千野が、最晩年の著書『言語学への開かれた扉』の中でただ一人天才と呼んだ彼は、言語の二重性を指摘しました。言語はやわらかく柔軟に外界のものを吸収するが、同時に強固で頑丈な構造を持っているというのです。この矛盾するような二重性の中に、言語の本質があるとしたのです。これは大きく言えば、意味論の一部をなすのですが、この意味という言語において最も重要なものを、当時の、そして今もなお、難しすぎるとして、棚上げし、もっと簡単な音韻等の精緻な構築に向かいました。例えば1950年代以降の、アメリカ構造言語学などがその代表でしょう。それ以降のChomskyの生成文法も意味はほぼ除外し、文法の構造を中心として探りました。こうした歴史進行の中ではやや一人、突出的であったEdward Sapir から、しかし私は多くを示唆されました。Driftという概念です。彼によって言語と運動、すなわち言語の時間的要素が浮かび上がるのです。これはのちに私の中でPerelmanの存在と結びついていきます。
結局いつまで経っても、ロシア語は上達しませんでしたが、ロシア語へ愛着は今も深く、昨年久しぶりにロシア語文法の小冊子を読みました。むかし、白水社のクセジュ文庫にあった文法もよかったですが、今回のDover Publications の Brian Kemple の本は簡潔で重要部分は詳細であり素晴らしいものでした。著者はまたP.94で次のように述べているのが印象的でした。
”the definitions do not pretend to be complete, or to settle points of interpretation that grammarians have been disputing for the past several hundred years."
1.8
意味は言語の最も重要なものの一つであるにも関わらず、この100年余りの言語学において、常に除外されてきました。第二次世界大戦後、アメリカなどで一般意味論という分野が一時拡がりますが、これは言語が社会の中でどのような役割を果たすかというような、Macro なもので、やがて社会学や人類学の中に吸収されていきます。依然として意味そのものは未開拓の分野でした。私の場合、哲学的なものは、Wittgensteinの鋭い哲学批判(検証)をすでに踏まえていますので、これにKarcevskijが加わることによって、ほぼ準備が整ってきました。すでに対象は漢字および漢字を中心とした中国近代のきわめて厳密な言語学(小学)で進めることを考えていましたので、あとは書記方法としての数学の自分なりの洗練が課題となりました。
1.9
幸いに1980年代ごろから、数学が飛躍的に発展し、幅広い分野に応用される時代がやってきました。岩波書店はほほ30年近くをかけて、数学の叢書を、入門、基礎、発展という順に整備してきました。共立出版も伝統的に叢書を持っていましたので、やはり様々な数学の現代的な成果を出版し続けて、現在も進行中です。私は今、「数学の輝き」シリーズを愛読しています。
或る数学者が、対談の中で、「今はやっと数学が様々な分野の問題を記述する蓄積ができましたね」と話していることに、象徴されますが、私が1970年代に中止したことを、今度は豊潤な数学の方法を自由に選びながら、自分の問題を表記できるようになりました。ここに哲学・Wittgenstein、対象・王国維などの小学、目的・Karcevskij、方法・Algebraic Geometry 代数幾何学,とすべてがそろいました。1980年代中ごろです。
1.10
1986年、大学の研究生を終え、教員をやめ、文庫をつくり、ほぼ言語研究に専念できることとなりました。周囲の理解があったことがもちろん一番大きかったのですが。私の所得は激減しましたが、中国語教授、歴史講座、仏教講座、日本語講師等々で、最低限の所得を確保しながら、現在に至ります。1985年にA先生からK大学への講師の話がありましたが、この時、私にとって大学は、限りなく感謝はしていますが、すでに私が進むmainのfieldではなくなっていました。
1.11
1986年以降、中国文献、仏教文献等を中心に読みながら、Karcevskijの方向を目指しましたが、2002年肺炎でO総合病院に入院したとき、偶然にも集中的に考えることができましたので、王国維の論文をもとに、言語、私の場合、漢字ですが、その中に内在する時間の問題をまとめたのが、On Time Property Inherent in Characters, 言語に内在する時間という性質について、というものでした。この時期に、Macro な観点から私の言語研究の方向を探ったのが、のちにManuscript of Quantum Theory for Language と題してuploadされたものです。ともに、2003年3月、長野県白馬にスキーに行ったホテルで、皆がスキーをしているときに一人で集中して最後のまとめをしました。懐かしいです。
1.12
話は飛びますが、仏教文献の奥深さを知ったのもこのころです。大正新修大蔵経・日本仏教全書などで読み進めていましたが、インドにおける仏教終末期の文献は、特におもしろく、例えば、世界の螺旋構造などが紀元4,5世紀ごろまでに明瞭に示されています。DNAなどの現代生物学の状況と対比すると興味深いのですが、安易な類比は避けるべきでしょう。物理学から派生する分子生物学の黎明期に私は深い愛着を持っていますが。
日本では最澄・空海を中心に読みました。最澄は読みにくく、空海は読みやすいというのが印象です。私が敬愛する日本文学のK先生は旧ソ連の学者から空海の『文鏡秘府論』の送付をお願いされ、約束を果たすのですが、K 先生ご自身は未読だとエッセイで書いておられました。この本は同時代の類書がなく、唐代の音韻論として高く評価されていますが、現代の音韻論としても読み応えがあります。ただ句読が打たれていないと読みにくいでしょう。今は中国で良い刊本が出ています。
1.13
無著・世親の仏教論は大正新修大蔵経で読みましたが、東洋における哲学の高峰として、信仰の有無を超えて、思わず襟を正させるものがあります。今も時間があれば繰り返し読みたいものです。大学に入った時からの、東洋から歩み始めようという私の信念はここに至って一つの実を結んだ気がします。
昨年2017年秋、東京国立博物館で、鎌倉時代の彫刻家、運慶のの特別展があり、久しぶりに無著と世親の彫像に再会しました。奈良の興福寺で見たのは、私の30代でした。そこではまた東大寺再建の勧進を行った重源の座像にも再会しました。この像の初見は京都国立博物館で、私が参観したとき、フロアには私以外誰もいませんでした。その時の高僧の座像はいかにも勧進を終えた安らかな老僧でありましたが、昨秋再会したときには、むしろ老師は私よりはるかに若々しい充実した気力を感じさせました。私の老いと年月の流れを感じました。
また鎌倉時代の東大寺の学僧、凝然の『三国仏法伝通縁起』を、かつて恩師から勧められ、友人二人とともに読み合わせしたころがなつかしく思い出されます。私はこうして漢文に親しむことができるようになりました。
中国近代の小学については今は省略します。
2.言語研究になぜそこまで魅力があるか、そこからの発展や応用があるのか
2.1
Baseには私の理論好きがあります。高校時代に最も惹かれたのは理論物理学です。私の場合、湯川秀樹の中間子発見の方向ではなく、朝永振一郎の超多時間理論の方でした。その全容はかなり難解ですが、微積分、微分方程式の知識があれば、何とかなります。私はのちに自分なりに整理して、言語の時間性についてまとめたものがあります。王国維とSapirに示唆されています。今考えれば、ですから、理論物理から言語への転換はかなりの必然性があったようにも思われます。この間にDirac という明晰な物理学者の存在に気付いたのは大きな収穫でした。このイギリス人については先年ノーベル物理学賞を受賞し、亡くなられた南部陽一郎もエッセイの中で書いています。
2.2
この理論好きとともに、私は根源的なものを求める、哲学の方向も好きでした。高校時代には曖昧でしたが、のち1970年代に、私の20代後半、Wittgensteinの翻訳が次々に出て、それらを読む中で、哲学という遺産の根本的な検証を行った彼の方向を考慮する中で、哲学の曖昧性は避けるべきで、別の方向を求めるようになりました。その結果最も有効と思われたのが数学でした。数学は高校時代から好きで、3年のとき、物理の運動についてその解を求めようとしたとき、最も有効なのが微分方程式でしたが、高3の微積分のレベルでは解くことができず、これは大学以降になるなと思ったことが印象的でした。
2.3
20代は教員をしながら、少しずつ数学を勉強していました。ここで神田で、フランスの数学グループ、Bourbakiに出会います。これがその後の私の数学の方向を決定しました。Bourbakiは、その趣旨は誰でも、明瞭で簡潔な出発点から複雑な現代数学の頂点まで行けるというものでしたが、精密な代わりに膨大で、私はその存在を横目で眺めながら、細々と勉強を続けました。
2.4
1.7で述べたように、1986年から2003年までで、Wittgenstein, 王国維、Karcevskij、Algebraic Geometry とそろいましたので、やっと動き始めることができるようになりました。この研究の魅力は、a.まずどんなことをしても完成などないこと、要するに無限であることが最大です。私は有限のものにはあまり興味を持ちません。内容的には、b.言語は人間の大きな用具ですが、精緻であるとともにしばしば誤解をも生む厄介なものでもあります。嘘つきパラドックス Liar's paradox ,または自己言及 self-referenceなどもその一例でしょう。そうした状況はWittgensteinが精細に述べています。しかもc.言語の意味は、ほぼ100年以上攻めることもあきらめられてきた、難攻不落の孤城です。
つまり、無限、精緻, 難攻不落と三つそろえば、未踏峰を目指す登山家とほとんど同じでしょう。誰かが言った、なぜ山に登るのか、そこに山があるからだ、というのは永遠の名言です。
2.5
私の立場は以上のようなものですが、そこから何か現実の社会における発展または応用があるかということについては、ふだんほとんど考えませんが、強いてあげれば現在一つのことが考えられます。
それは医学への応用です。別にそこまで私が行なう訳ではありませんが、その理論的な方向だけは数学的に可能だと現在の段階でも思っていますし、そのための準備も応用を主に目指しているわけではありませんが、現在進行中です。私のSite, Geometrization Language の中の、Preparatory(準備的)というジャンルがそれです。 Geometrization Language とは「幾何化された言語」というような意味です。
2.6
まず幾何化とは何かを、簡単に示すことが必要でしょう。1980年にThurston が3次元閉多様体が8種類の幾何構造に分解するという予想conjectureを提出しました。1980年代前半にHamiltonがこの予想をある種の方程式として定式化させ、2002年から2003年にかけてPerelmanが最終的に解決しました。さらに簡潔にすれば、3次元の図形は8種類に分類でき、その定式化も可能だ、というようなものです。
2.7
ここからは私の推論となります。医学の分野では、今は様々な図像解析 image analysis がなされ、病気の特定や病気の進行段階などを特定するのに用いられています。この解析の判断は、医師の目視に依るわけですが、画像が多様化し、その量も膨大になる中で、現在では統計的処理を施して分類し、いくつかの類型に分けて、細かな判断が行われるところまで来ているようです。もしこの統計的集積を幾何化によって分類することが可能となれば、その図像は数学的に定式化され、定式は自然言語に変換されることとなることによって、図像解析は精密であるとともに正確に共有されうるものとなるでしょう。
2.8
すでに述べていますが、私はそうした応用を目指して、言語研究を行っているわけではありません。2.4 で示したように、私は未踏峰へのあこがれを持ち続ける一人の登山家に過ぎません。高峰のはるか下方に小さなBase Campを単独で作っただけです。こうした登山家は世界に無数いることでしょう。しかしこうしたすべての比較や逡巡は、碧空に聳える未踏峰を見たときにすべて消えるのです。そこに山があるからです。
2.9
当面の結論を急ぎましょう。2.6, 2.7 等で示した図像などを、私は言語の領域に組み入れて考えています。絵文字Emojiも入り、LATEXも入ります。私はこうした言語の領域を、自分では広い言語、Broad Language と呼んでいます。この中にはエジプトの象形文字 hieroglyph、中国古代の象形文字、すなわち甲骨文Jaguwenも入ります。しかし私のfieldは一時期流行した記号論 semiotics ではありません。Semiotics は豊饒な広野だとは思いますが、その方法が明瞭ではありません。今は詳述を控えます。
こうして考えてくると、BC1400年以降の古代中国の甲骨文がいかに重要であるかが想像できるでしょう。漢字は古代からの象形を現在まで途絶えることなく発展的に継承してきた現存の文字体系であり、言語の重要な一分野となるものです。私はこの漢字を最初に研究の対象としました。
2.10
私の言語研究の発展も以上で大体見えてくるでしょうか。言語の意味は時間的変化を含めて幾何学的な図形として数学で明確に表記される。しかし私は別にこうした発展などほとんど考えたことはありません。私はただ次のBase Campを築くために、荷物をより少なくして歩き始めるだけです。高いところにのぼるには、荷物は少ない方がいいでしょう。わたしの荷物は、漢字と数学があれば十分です。酸欠を防ぐために、中国の小学と漢訳仏典、段玉裁・王国維・章炳麟や大正新修大蔵経・日本大蔵経がときに必要でしょう。エネルギーの補填のために、1920年代のLinguistic Circle of Prague が依然として大きなよりどころとなります。未踏峰にどこまで近づくことができるかはわかりませんが。それはもう私が問うものではありません。
このエッセイは、記憶を中心に書きましたので、細かい年次などにもしかしたら、記憶違いがあるかもしれません。また質問の答えになっているかどうかも、よくわかりません。その点は
どうかお許しください。こんなことを記していましたら、むかし、京都の仏教学の先生がその著書で書かれていたことばを、憶い出しました。先生がチベットで夜、野外で焚火を囲みながら仏教談義をなさったとき、仏教僧らは記憶に基づいて、縷々と経文を声(しょう)するのに、先生は机上で文献をもとに研究しているために、それに素早く応ずることができなかったと述べておられました。それはまた両者の仏教に対する真摯な姿勢を示し、信仰と学問の奥深さに打たれました。
どうかお元気でお過ごしください。
Cordially
5 February 2018
-------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
References for Letter to Y. Of Broad language
1. From definition of language to the decision of direction for research on language
1.1
1. Language is variable. If it be true, what is the base of variability?
2. Language is pronounceable. If it be true, what is emerged by pronounced?
3. Language is recordable. If it be true, what is emerged by recorded?
4. Example.
An apple is variable and will be rotten by time proceeding.
An apple is pronounced at a glossary shop and will be bought by a homemaker.
An apple is recordable and will be recorded in a photo.
5. What distinguishes language from apple? The answer is uncertain. So I make the language models parting from natural language.
Reference
22 August 2012
1.2
In August 2003, I went to Hakuba in Nagano prefecture for the summer vacation with my family. At that time I had been thinking on the form of language for which I wrote the paper, that connects with time inherent in characters, in March 2003 also at Hakuba.At night of August 23 in cottage, I casually saw the advertising paper of electric dictionary. The paper was brought from the convenience store near the cottage in the evening. The dictionary on the paper was Seiko’s English-Japanese dictionary that has additionally consultation for Chinese or French language with large scale. I vaguely considered that after this dictionaries are necessarily taken these multi-lingual way.At the time I suddenly realized that the form of language may be spherical style in which language contains all the information in itself.That was rather satisfied solution for the tough problem of language that I had been carrying in my life from my twenties.I wrote the sketch-like paper of the theoretical approach after returning home of Tokyo. The paper was read at the international symposium of UNESCO opened in winter 2003 at Nara. In the paper, the spherical substance of language is seemed to be quantum in DELBRUCK’s image-like physical world. After 5 years from the inspiration at summer of Hakuba, now I consider that spherical essence is manifold in infinite dimensional world.Now I also realize that the toughest problem of language is minutely solvable in mathematical approach that has structurally definable terms.
The title changed.The former title is “From Quantum to Manifold”.
[Postscript. January 25,2012]
1.3
-
1.4
-
1.5
-
1.6
-
-
-
CHINO taught me the core of linguistics in the class of structural linguistics.The most remarkable thing is what he explained the paper of KARCEVSKIJ to us.The title is “Du dualisme asymétrique du signe linguistique”. It became a miracle of my life. I summarize the essence of the paper from one of CHINO’s most major book,Gengogaku eno hirakareta tobira, Janua linguarum reserata in Latin. Language has the dualism.One is firm structure. The other is flexible variability.This is a very revelation in the roaming of study.At first I selected the firmness of language for my research target.It overlapped with the research of Chinese characters.Thought of KARCEVSKIJ fructified the quantum of language.The theory I reached is Quantum Theory for Language.The starting point of the theory was given from CHINO.I deeply appreciate him for teaching me almost all the things on language. CHINO Eiich died March 19, 2002.At age 70.December 5, 2004 July 16, 2014 Added
1.8
-
-
1.9
-
-
-
-
-
-
-
-
1.10
-
-
1.11
-
-
-
-
1.13
1.Special Exhibition UNKEI The Great Master of Buddhist Sculpture 2017. Tokyo National Museum
2. Why is there attractive of language research,
and how are there developments or applications in the future
2.1
-
1.Meaning minimum is one of the kernel concepts for the model of language universals on my study. The concept was at first thought from Roman Jakobson's semantic minimum on which I first read at his book, ESSAIS DE LINGUISTIQUE GÉNÉRALE, 1973. His concept was yet intuitive at the linguistic study history in the latter half of the 20th century.Comparison with his concept, my definition of meaning minimum was a certain basis prepared in the learning of mathematics, especially on algebraic geometry, that is the most fantastic approach to the construction of the language model. But the contents of meaning minimum is vacant. This concept shows the minimum unit of one big constructive meaning of word. meaning minimum seems to be correspondent with element of set theory, which theory and foundations of mathematics had been my favourite mathematical basis in 1970s, my youth time. Bourbaki was always echoed around us. Grothendieck was a highest star in this world.2.Time went fast from at that time. Set theory became one of the premise field of mathematics. But in my part, set theory's agenda was put at a another point. Because language has a certain expanded world that seems to be continuous. Set theory's atomic discreteness does not match in my primary learning level. So, in my age 30s, I had sank in the philosophically intuitive thinking often referring the tradition of 1920s, especially of the Linguistic Circle of Prague. On the circle my teacher CHINO Eiichi had taught me from time to time on the campus of university or coffee shop near the station we used. CHINO had gone to the Czechoslovakia Republic from 1959 to 1967. I first met him in 1969 at his Russian class at my third year of university student. I was the age 21 and he was 37.3.At the age 23's 1971 spring, I graduated university and once became a high school's teacher and again returned back to university in 1979 after 8 year job of the school. At that time I thought of characters' distinctive features on Written Chinese classics. I mainly read WANG Guowei, ZHANG Binglin, DUAN Yucai, WANG Yinzhi being guided by Japanese modern scholar KANO Naoki. Expressly I had attracted to WANG Guowei and his book Guantangjilin. Besides reading these China's Qing dynasty's linguistic peaks, I had always thought on Ludwig Wittgenstein for his endless pursuit on language. So I resigned school and came back to the campus where I again met with CHINO. I was age 30s and he was 50s. He was already the big scholar at the linguistic field but I was a poor return student. But I dare to say we were colleagues for language study. He taught me the detailed and strict tradition of the linguistic Circle of Prague. He frequently talked on Sergej Karcevskij and his eminent discernment on language. In the later year's masterpiece, Janua Linguisticae Reserata, 1994, he wrote only Karcevskij as genius in the great linguists.4.Being led by CHINO, I again started linguistic learning on meaning that I had been interested in from my 20s but too hard to approach by my talent. This time I had Karcevskij's fine insight to meaning enough absorbing the fertile tradition of Prague, where also exist Jakobson and Mathesius. Through the learning I gradually lean to desire to write clear definitions on language. I again remembered the little learning of my 20s age's mathematics. Bourbaki, Godel, TAKEUCHI and their set theory, foundations of mathematics and that Incompleteness theorem. I had learnt mathematics little by little, inch by inch.5.CHINO Died in 2002 at age 70 and I became 55. The next year 2003, I wrote a short paper titled "Quantum Theory for Language". This paper was showed at a international symposium on Silk road for dealing with language from Chinese characters on linguistic viewpoint. I knew that Asian civilisation and history had great concern not only from Asia but also European continents. At the symposium some 400 researchers gathered in the various scholarly fields. It was a awesome encounter for my study, namely, East meet West. Probably Chinese character's agenda will be written by Europe oriented mathematics. WANG Guowei will meet with karcevskij mediated through mathematics' description. The target confronted at that time was time inherent in characters, or time in word. In Chinese, particularly in classical written Chinese, all the characters show enough independent meaning in one character probably including even time. It was my first conjecture taught from Karcevskij and CHINO. Meaning minimum is on the boat going across to the opposite shore. This metaphor was derived from WANG Guowei's famous paper, "Yin- bu zhong suojian xiangong xianwang kao"6.The concept of time inevitably led to the concept of distance. In 2004, I wrote a paper titled "Distance Theory". But the paper was yet intuitive and not clear for descriptive definition. So hereinafter I learnt algebra inch by inch being assisted with the rich heritage of geometry. In the centre of learning, always exist time that connotes finiteness and infinity. But infinity is not easily obtained without probably only loop space at the present. And again returns back to meaning minimum as the passenger of the boat named time property inherent. This time the passenger on the boat is called operad or algebraic language.7.After all I came back to the very dream that I had embraced since the high school days. It was a fundamental ask on language related with mathematics and physics. The root of language would be able to describe by mathematics and physics. In my mind language is always put at the centre of the pursuit that was what anyone can clearly understand. Description by mathematics, but physics why (Note 1)?. Physics treats with substance that constructs the world in which I had desire to let language enter. It started at Substantiality of language (References 2. 2). It was my dream and probably will be so, hereafter.References1.<Meaning minimum>Cell Theory Continuation of Quantum Theory for Language / From Cell to Manifold For LEIBNIZ and JAKOBSON / Tokyo June 2, 2007<Bourbaki>The Time of Language Ode to The Early Bourbaki To Grothendieck / January 10, 20122.<CHINO Eiichi>Fortuitous Meeting What CHINO Eiichi Taught Me in the CLass of Linguistics / Tokyo December 5, 2004<The Linguistic Circle of Prague>Linguistic Circle of Prague / Tokyo 13 July 2012, 19 July 2012 Added3.<WANG Guowei>The Complete Works of WANG Guowei / Tokyo 24 May 2012<Ludwig Wittgenstein>The Time of Wittgenstein / Tokyo January 20, 2012<Sergej Karcevskij>Notes for KARCEVSKIJ Sergej / Note for KARCEVSKIJ Sergej's "Du dualisme asymetrique du signe linguistique" / Tokyo September 8, 20114.<Set Theory>Quantum Linguistics / Growth of Word Dedicated to TAKEUCHI Gaishi / Tokyo January 30, 20065.<Quantum Theory for Language>Quantum Theory for Language Synopsis / Tokyo January 15, 2004<Time inherent in characters>On Time Property Inherent in Characters / Hakuba March 28, 20036.<Distance>Distance Theory / Tokyo May 5, 2004<Meaning minimum and distance>sekinanlogos / Floer Homology Language / Supersymmetric Harmonic Oscillator / Tokyo May 6, 2009<Loop space>sekinanmodel / Infinite Loop Space Language / Word as Infinite Loop Space / 6 December 2012<Operad>ifbetruezoho / Operad Meaning Theory / From Cell to Operad / 4 March 20137.<Description>sekinanmetria / Notes for KARCEVSKIJ Sergej / Description of Language / September 9, 2011<Substantiality>sekinanlogos / Floer Homology Language / Potential of Language / Tokyo June 16, 2009<Amalgamation>Language, amalgamation of mathematics and physics / ifbetrue 2 April 2013Tokyo6 April 2013Sekinan LibraryReferences 214 September 20141. Roger Penrose / 25 October 20122. Substantiality Dedicated to SAPIR Edward / 27 February 20053. Perhaps Return to Physics / 16 August 2014
References 3
25 July 2017Category theory shows a new approach for the further step.1. Karcevskij conjecture 1928 and Kawamata conjecture 20022. Additional meaning and embedding3. The comparison between 2003 and 2017 From Chinese character's meaning structure to Homological algebraic model of language universals Reference 429 July 20171. Edward Sapir gave me a moment to study language universals together with Sergej Karcevskij2.2
-
-
-
2.3
-
2.4
-
2.5
-
-
2.6
-
-
-
2.7
-
-
2.8
1 Quantization 1 is a cliff for consideration of language.
2 Mathematical interpretation of quantized language is now a first step to the theoretical ascent.
3 If there is not mathematics, next conjectures are impossible.
(i) Difference between word and sentence--- Commutative and noncommutative ring
(ii) Continuation from word to sentence--- Tomita’s fundamental theorem
(iii) Word’s finiteness and sentence’s infinity--- Property infinite and purely infinite
(iv) Cyclic structure of word’s meaning--- Infinite cyclic group
4 Meaning minimum 2 , mirror language 3 and mirror symmetry 4 are inevitable approach to the study of language especially for language universals 5 .
5 Symplectic Language Theory, Floer Homology Language and Arithmetic Geometry Language are adopted as the model theory for natural language in the recent.
6 Hereinafter the model theory will be entered to the new concept . The Model s of Language Universals 6 will be shown by the description of mathematics.
[References]
0 . WITTGENSTEIN Ludwig
Theory Dictionary Writing
Theory Dictionary Person
Aim for Frame-Quantum Theory
1 . Quantized Language
Quantization of Language /Floer Homology Language
2 . Meaning minimum
Structure of Meaning / Symplectic Language Theory
3 . Mirror language
Mirror Symmetry on Rational Curve / Symplectic Language Theory
4 . Mirror symmetry
Homology Mirror Symmetry Conjecture by KONTSEVICH / Symplectic Language Theory
5 . Language universals
Generating Function / Symplectic Language Theory
6. Models of Language Universals
Language Universal Models
Tokyo December 10, 2005
Tokyo November 27, 2008 Revised
Tokyo March 24, 2009 Revised
Tokyo June 27, 2009 Revised
Tokyo February 28, 2011 Revised
Tokyo August 3, 2012 Revised
Tokyo December 8, 2014 Reprinted
- Bourbaki, Nicolas
Karlgren, Bernhard
Karcevskij, Sergej
Jakobson, Roman
Sapir, Edward
Saussure, Ferdinand de
WANG Guowei
von Neumann
Wittgenstein, Ludwig
2.9
-
-
-
-
2.10