Sunday 26 November 2017

33 Autumnal garden from Papa Wonderful

33 Autumnal garden

33 秋の庭

 秋の庭は少しさびしくなります。バラはまだ幾度めかの花を咲かせますが、花はようやく小ぶりになってきました。注意していたにもかかわらず、うどんこ病と黒班病にやられた一部は早く葉が黄ばみ、秋の雨に落ちてしまい、幹だけがややさびしそうです。

 それでも紫式部の実が秋の雨の後に一挙に色をつけ始めました。水引草が赤い穂状の花をたくさん咲かせています。サザンカはつぼみが十分にふくらみ、間もなく白いふくよかな花を毎朝見せてくれるでしょう。シャラの木はその堅い葉をもう褐色に色づかせ、まもなく訪れる秋の強い風にまたたくまに散っていくでしょう。サルビアの白い花が伸びきった枝に最後の花を咲かせ、早朝の庭は、散った白い花で埋まります。

 ベニカナメもさすがに新芽を出すことが少なく、秋の姿へと変わってきました。キキョウが時折名残のように青紫や白い花をのぞかせますが、もう咲き始めのいきおいはありません。リンドウは根付きがむずかしく、今年もあまり元気がありません。ただ萩の花だけがいきおいよく咲き続けています。去年も咲いた山吹の夏の花ももう終わりました。季節は確実に寒さへと向っていきます。

 来年はクレマチスの花を咲かせたいと、小さな苗を秋の始めに買ってきたのですが、少しずつ伸びてきたので、絡みやすい添え木が必要になりました。菊がたくさんのつぼみをもたせて雨に耐えている姿は、こどものころに見た風景と少しも変わりません。裏庭の丸菊は名前のとおりに何もしないのにきれいな丸型に花のつぼみを集めています。安彦くんが夏休み前に学校からもらってきたそばの花が白く可憐に咲き、すぐに三角状の実をつけました。

 ウメモドキが今年は少なめに、その代わりに実は大きく赤く染まり、南天の実もまもなく色づき始めるでしょう。花の一年は人の世の一生によく似ていると思います。ただ花は他生を繰り返すのに、人は一生を生きるだけです。キリストのいわれた「野の白い花のように」は決して比喩ではなく人の世の表象でした。再生もまた花を見ていると必然と思われ、パスカルが『パンセ』の中で、二度生きることが不思議なら一度生きることも不思議だと書いていましたが、根源的には私たちの一度の生の不思議さに行きつくでしょう。

 花は人を哲学者にします。人は花に何を与えるでしょうか。


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