Wednesday 31 January 2018

From Hodge diamond of mirror symmetry by KONTSEVICH to mirror language

From Hodge diamond of mirror symmetry by KONTSEVICH to mirror language

From Print 2012, Chapter 18
Aは祈りのモデルとして鏡の世界を想定していた。実際の手が鏡に映る。奥行きもある。動かせば一緒に動く。しかし実態はない。そして左右が反対になる。というより右手は右手なのだが、鏡の中では左手側として構造化される。上下関係はそのままだ。朝永振一郎が描いた鏡の中の世界だ。それはよく言われることだが、これだけではそれ以上には進まない。
鏡の手前に実在の幸福がある。鏡の中にその幸福が映る。それは実在しない。手前の実在の幸福を取り外せば、鏡の中の幸福も消える。今鏡の中に幸福があって、手前に実在の幸福がない状態を想定する。そういう状態をモデル化できないか。そんなことを彼はしばらく前から考えていた。
虚数を使えばどうだろう。リーマン球面の座標に時間座標を加えて、それに負の記号をつければ、ミンコフスキー空間になる。時間座標を空間座標と同じ正にとれば、次元に関してシンメトリカルな四次元球面ができる。これはホーキングが宇宙の生成に関して虚時間を導入した発想だ。ホーキングの宇宙の始まりは、だからその底面が球になっている。
言語に対称性は入れられないのか。そうすれば面対称で鏡の世界ができる。そして鏡の中だけに言語があるようにすれば、それを祈りのモデルとすることができる。そんな道筋を考えた。
実数に対して虚数があるように、実言語に対して虚言語がある。祈りは虚言語で書かれているとする。実言語の中に内在する時間を想定したように、虚言語にも内在する時間を想定する。天国に行くことは、虚言語の中で内在する時間を移動することになる。その言語をミラー言語mirror languageと呼ぶことにする。それならば、そのmirror はどこに置かれるのだろうか。
図書館でもっともよく読んだのは、深谷賢治だった。円はやはりx2 + y2 = 1で認識するより、丸い図形のイメージで認識するのが自然におもわれると書いてあった。幾何学の直感性はたしかにすばらしく普遍的だ。
深谷の本を読んでいくと、ミラー対称性mirror symmetryが出てくる。ホッジ・ダイアモンドと呼ぶものを或る値のところに設定し、そこで折り返すときれいなミラー対称性を得ると記されていた。Aが考えるmirror languageもそこで可能かもしれない。
References 2:

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