Monday 11 March 2019

15 Bright day from Resting Elbows Nearly Prayer 2007



15 かがやく日
秋の好天の日曜日、町の郵便局の方に行ってみる。用事は特にない。空気が澄んで気持ちがいいし、家で今することもない。昨日は早く眠り、疲れも残っていない。こんな日は、自転車に乗って、ゆっくりと走る。風景のすべてが、自分のように疲れがとれて、なにもかもゆったりとした秋の中にある。町は静かで、人通りもない。高い空に幾すじかの淡い雲が高くある。風もない。
ずっと、思い出せる範囲でずっと、思い出してみる。秋の休日はいつもこんなふうにおだやかに自転車に乗っている。走るとわかる風を頬に感じて、きれいな空気を思い切り吸って。
あっというまに過ぎた二年半、高校生活ももうあと4ヶ月しかない。月日はたしかに過ぎていった。11月。1年のときも2年のときも多分こんなふうに秋の休日をすごしていた。するべきことはすべてやった。だから充実していた。だから早く過ぎたということではない。時間はたしかに流れていったが、それは含むべきものをすべて含んで、過ぎていったのだ。
やわらかなセーターの中に風は入ってこない。クラブももうほとんど終わった。かすかな悔いのようなおもいが一瞬浮かぶ。たしかにもっとできたかもしれない。もっと走りもっと跳ぶことができたかもしれない。もっと土の感触を知ることができたかもしれない。跳躍の姿勢を、腕の振りを、足の運びにもっと神経を集中させるべきだった。一瞬のうちにすべてが帰ってくる。あの砂にふれる一瞬。すべての成果がはっきりとわかるその一瞬。はねあがる砂、めり込む砂。やわらかく沈んでゆく体。すべてがスローモーションで今帰ってくる。そのときの助走、あのときの跳躍位置。あのときの踏み込み。見上げた空。大きくすった息。顔をたたいて、腿をたたいて、行くぞ。風景が消えすべてが消える。世界が消える。自分の歩数だけが、走る感触だけが、大地を踏むリズムだけが、見える、行くぞ。
空に舞い、腕が大きく空を切る。音が消える。そして砂、世界が戻り、ざわめきが聞こえる。試技は終わった。
跳躍は青春だった。もうそうそこへは帰らない。帰ることはできない。時間が帰らないのと同じに。
ゆうぐれの校庭が好きだった。あのすべてが茜色にそまる一瞬が好きだった。影がながく校庭にのびて、すべての動きがゆっくりになる。なぜか知らない。多分一日が終わるからだ。すべてが終わる前に一瞬のやすらぎをあたえる。だれかが、人間を超えたなにかが、それでよかったのだと、メッセージを送る。だって、それ以外に今日の一日はありようがなかった。体をほぐし、走りこみ、タイミングをはかり、跳躍のイメージを繰り返し、跳躍板をなんども確認し、砂場をきれいにし、そして跳んだ。
世界を切るために。世界の中を自分が走るために。自分はたしかにそこにいたと伝えるために。なにものでもないために。ただ跳ぶために。ただあるために。
緑陰街道を左にまがり、日好街道を北に行き、また右にまがる。古い牛乳集荷場がむかしのままにある。懐かしい風景のままに。かつて多くの人が働き、工場が稼動し、牛乳が造られヨーグルトが造られた。白衣の作業着がいつもあった。今はひっそりとしている。集荷だけはきっと行われているのだろうが、人影はみえない。小学校のころからこの風景を見てきた。ここだけは時間から切り残されている。なつかしい自分。
丘陵がみえる。ああ、そうだ。今日だったのか。丘陵は秋の光のなかでしずかにしかし燦然とかがやいている。黄金色にそまって。高い空の澄明な空気のなかに、風もなく、それでいて音楽をかなでるように。
秋の一日、たった一日、丘陵は燦然とかがやく。たった一日だけ、そのほんとうのすがたをみせる。見るまで気がつかない。きょうがその日であることを。
田所は自転車を止めて、丘陵を見る。そうだ、いつもそうだ。おまえはいつもこんなふうに、とつぜん、オレのまえにあらわれる。秋をおしえてくれるために。秋までおまえが生きてきたことをつたえるために。世界がひかりかがやいていることをつたえるために。

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