Saturday 30 September 2017

To Winter 10 Quantum

10 Quantum
量子 
窓の下に雑踏が見える。S駅を降りて、ここはK書店に近い。 ―それで版画はどうなったの?  やっぱり気になるらしい。 ―動いているよ、いつもというわけではないが。 土曜日に会うのはいつか習慣のようになった。 ―ただそれにはもう慣れたというか、そのこと自体は付随的なものになった。気になることの中心が変わってきた。中国の周易に、 「中心疑えば、枝分かる」ということばがあって、中心にあるものを疑いだすと、際限なくばらばらになってゆくということらしい。 今までその中心と言うものが私にはなかった。いつもふらふらしていて、それはきみもわかっていたかもしれない。能力の問題もある かもしれないが、それだけでもないらしい。キルケゴールがね、人間には二通りあると書いている 、「使徒と天才」という文の中で。 使命を持った使徒と、芸術を持った天才と。芸術というのはぼくの勝手な要約だけど。人はそのどちらかで生きるらしい。いいとか悪 いとか、そういう価値ではなくて、それはもう分岐として決まっているらしい、たぶん生まれたときに。もしかしたら生まれる前から かもしれないけど、ここからはぼくの解釈で、使命のある人はそのまま生きればいい、そこに疑いは一切ない。それ以外の人は、みな 天才になるしかない。もうほかに選択はないから。人は懸命にその人の芸術を見つけなければならない、しかしそれはそう簡単には見 つからない。 A はむかしの I に対してのように話しかける。 ―天才は天才でたいへんらしい。彼自身の芸術を見つけなければならないから。しかし当然だけど、それは容易には見つからない。そ vii れがこれまでの自分だった。 ―ふうー、むずかしいけど、それで芸術はみつかったの? ―それが長い迷路の果てにというか、偶然にと言うか、あの版画が教えてくれた。花火がつぎつぎに上がっていく、そこには多分、心理的に であれなんであれ、なにがしかの時間がながれている。それをぼくは内在的な時間とした。そうおもった、これで半分。あとは、それ ならその内在する時間はどこにあるのかと、考えた。版画の中にじゃなくて、ここからはもう版画から少し離れていく。そのときね、 ずっと気になっていた王国維という人が言った漢字の中に内在する時間というものとつながった。文字の中には時間がながれていると 、 ぼくはそんなふうに王国維を理解した。こうしてやっとぼくの中で時間と文字がつながった。大丈夫? ―大丈夫じゃないかもしれないけど、続けて。どうせ続けるんでしょう? ―悪いね、疲れているのに。それでここまでで三分の二。まだ自分の中ではっきりしない。 ―はっきりしないってどういうこと? ―決定的じゃないってこと。さっきのことばでいうなら、まだ芸術になっていない。 ―あと三分の一。ふう、がんばって。 ―そこまでは比較的スムーズにいった。ところがその文字の形がわからない。もう漢字からは離れているからね。漢字では普遍性がな いから。普遍的な時間、普遍的な文字、普遍的な形。それでその普遍的な形というものがどうしてもわからない。ようするに時間を内 在した文字はどこにどんな形であるのかがわからない。それで或る晩、ずっとそのことを考えていて疲れてしまったので、コンビニへ 飲み物を買いに出た。駅に近い方に一軒あるから。もう夜遅いんであたりはしんとしていて、あの辺はまだそんななんだ。それで明る いコンビニで飲み物を買ってなんとなく雑誌を見ようとしたら、その脇にパンフレットが置いてあって、電子辞書の宣伝なんだ。おも しろそうなので一枚取って家に戻った。飲み物を飲みながらそのパンフを見ていたら、ふつうの電子辞書じゃもうだめで、付加価値を つけないといけないと書いてあった。あくまで一般用の辞書だから付加価値っていってもそんなに特別なものじゃない。今のぼくなら この辞書はテフが書けますなんて書いてあったら、もしかしたら買うかもしれない。 ―テフってなに? ―テフは tex って書いて、ややこしい数学の式なんかをちゃんと表記してくれるもの。 ―進化したワープロ?。 ―あ、そうか、そうかもしれない。とにかく付加価値がないといけないらしい。そのときにね、まったく脈絡がないような感じなんだ けど、ひらめいたんだ、文字の形は球だ。どうしてなのか、その宣伝のロゴというかマークが円の縁に又小さな円が乗っている、そん なもので、それからの連想かもしれない、とにかくそうおもった。文字は丸い球の形をしている。それがとりあえず虚空に浮かんでい る。ほんとうはその虚空もちゃんと定義しないといけないんだけど、それは後回しにて。とにかくこうして文字の形が決まった。 ―文字が丸いの? ―そう文字は丸い、というか、言語は丸い。こんな簡単なことがわからなかった。 ―言語が丸いの? ―そう、言語は丸い。そして最後のひとつ、これで終わりなんだけど、その丸い球は quantum であるということ。日本語では量子と いうのかな。 ―量子? ーそう、最小限の物理量。 ―それが結論? ―そう、それでほんとうに終わり。あとはこまかな作業をやるだけ。 ―作業って、書くこと? ―そう、そのことを記述する。わかりやすく記述すること。 ―ただ書いていればいいの? ―そう、ひたすら書き続ける。 ―検証はしないの?物理ならそうするでしょ? ―検証はしない、というか多分できない。片道だけの論理性。ほんとうの物理学じゃないから。 ―うその物理学? 二人ともおもわず笑った。 ―うその物理学じゃないよ。自由な物理学。モデルをつくること、芸術。それでぼくもなんだか天才らしくなった。 ―天才ってそんなに簡単になれるの? 

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