Saturday 30 September 2017

To Winter 9 Mikhail Yurievich Lermontov

9 Mikhail Yurievich Lermontov
レルモントフ
ヒヨドリはだいぶ元気になった。しかし野性はAになつくことをしない。いつまでも金ざるに入れておくわけにもいかないので、金 物屋で金属製の比較的大きな鳥かごを買ってきた。どこかに行けばむかしの竹ひご製の鳥の足になじむ鳥かごがあるのかもしれないが そこまでのエネルギーはなかった。何の鳥ですかとたずねられたので、ヒヨドリだと答えると、最近は都市にもかなり繁殖しているよ うですと教えてくれた。 しかし生き残るのはたいへんだ。ヒヨドリを住まいに持って帰った当初、胸や背に残る産毛が膨らんで、体全体が空気のすこし抜け たゴムボールのように不恰好になっていたが、元気になるとその産毛が羽の下に隠れるようになり、体全体が細く引き締まって、若鳥 らしく見えるようになった。餌は相変わらずみかんだけで、ほかのものは食わない。虫などを与えればいいのかもしれないが、それも 面倒だ。みかんを鳥かごに入れるときは、ギャアギャア騒ぐ。野性はすごいものだ。そう簡単には人間に慣れない。そのほうがいいの かもしれない。 しかしこれだけ元気になるともう放してやらないとかわいそうだ。都市の中で生きるか、そうなるのかもしれないが、一度は野山に 返してやろう。もしかしたらこいつはそれすらも知らないかもしれない。丘陵か大きな林かそうしたところがいいが、Aはとっさには いい場所がおもい浮かばない。郊外線に乗るしかないかなとおもう。 画家のKが住んでいたO駅をさらに北に行くと左手に丘陵が見えてくる。その辺のどこかで放してやるのがいちばんいいか。主人に 対してそっけない鳥でもしばらく接していると親しみが湧く。ヒヨドリという鳥は鈍いというか、そうぞうしいというか、そういう印 象だ。近づいてもなかなか逃げない。人間などあまり気にしていないようだ。霜降りの毛がぴんぴんと立った頭部はやんちゃぼうずの ような感じだ。いやだとギャアギャアけたたましく鳴く。これでも生き延びるのはたいへんなのだろうか。 郊外線に乗れば久しぶりにKが住んでいたR荘が見られる。もしもまだ残っていればだが。あの古さではもうなくなっているかもし れない。トイレの四本の煙突のくるくる回る先端はロシアの教会の尖塔みたいだ。むかしCが教えてくれたロシア語。その縁で会話を 教えてくれたロシア貴族の末裔だったM婦人。「ロシア語には暗い母音と明るい母音があります、ヴォルガは暗いほう」、そう言って 何回も黒板に明暗の母音を書いて教えてくれた。母なる河ヴォルガを異国でおもい続けたMの、いまも耳に残る優美な発音。 あるとき、彼女がAに暗誦するようにと、青いボールペンのながれるような筆記体で書いてくれたのがレルモントフの詩だった。ミ ハイル・レルモントフ、彼の名はミハイルだった。あまりにもうかつだった。Aの学習用のロシア名はミハイル、M婦人が自分で好き な名まえをつけなさいと言ったからだ。 ―ミーシャ、あなたはどこでそんな言い回しを覚えた? ―これです、M。ティーチ・ユアセルフ叢書。 ―どこで買った? ―S駅のK書店です。 Mがレルモントフを選んだのは、それが名作だからだとばかりおもっていた。しかしレルモントフの名はミハイル。Aのロシア名と 同じだ。Mはそれまで考えて与えてくれたのかどうか。今はもう聴き返すすべはない。レルモントフの詩、「一人、旅に立つ」。

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